水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

編笠山の思い出から

思い出とは面白い、その全体がくっきりと浮かぶことはなく、ある強烈な体験部分だけが残っている。


それは中学の林間学校、だったろう、実はそれも定かではない。しかし林間学校で八ヶ岳の編笠山に登ったことは間違いない。しかしその編笠山、調べて見ると初心者でも登れると書かれている、しかしでも、標高2500メートルを越えている、果たして林間学校で中学生が登れたのか、それも運動靴かなんかで、そう、全体像は覚えて居ないのです。

☆資料を読みましたら、編笠山は初心者でも登れるとありました、登ったんですねえやはり。登山ルートを見ると、記憶の通り真っ直ぐに上がっていく道ですね。先生があれが頂上だと指した場所は、上の写真では、2100メートル辺りだったかも知れません。



それはともかく、その強烈な思い出を語りたい。それはいつまでも辿りつかない頂上の思い出です。夏なのに肌寒く、おまけに雨、頂上手前では雨が下から吹き上げて来た。おそらく現在で有ったら、おおいに問題になる登山だったろう。


それもともかく、これも記憶ですが編笠山の登山道は、真っ直ぐに頂上に向かっていた、極端にジグザグはして居なかった。その登山中私は、何度も頂上を見上げた記憶が有る、それは目先の頂上で、その頂上と思った場所に着くと、次の目先の頂上が見えた。


これがこの登山を苦しいものにしたと今でも思っている。何度目先の頂上を見つめただろうか、10回?20回?、そして登山は最終地点に近い階段の踊り場のような所に出た、
そこで先生は遠くを指さして、あれが頂上だ!!と教えてくれた。


それは遥かかなたに聳えていた、到底辿りつけないと思える頂上の姿だった。それからの歩みは、記憶にはない、多分頂上に辿りついたのだと思う。


後で教わった登山の初心者極意(大げさですが)、登山は目の前の道をしっかりと踏みしめること、決して上を眺めないこと、ただし下界の景色を見ることは良い、と。



この記憶は今から思えば学びだった。目先の頂上を勘違いしながら進むことの弊害、会社で言えば今日の売上に一喜一憂する態度と同じだ。そこには何の計画性も無いのです。


でも苦しかったなあ、その記憶だけは正しいのですが、でも、2500メートルの八ヶ岳を、中学生が運動靴(登山靴だったかも知れないが、その記憶はありません)で登れたのか、だんだん分からなくなって来た。



失礼しました。