雨上がりの参道
この頃、絵を描いていて、これが俺なんだなと、思わせられます。
これは上手い下手のことではなく、描き方と申しましょうか、それが生き方にも如実に現れていると思ったのです。
これは水彩画、この時点で水彩画としては失敗と思います、一つは色が濁っている、一つは色が濃く入りすぎている、でも考えて見ると今までも、ここからどうして行こうかと思っているのです。
これは、馬鹿な自己分析のようなもの、私の人生を投影した絵だなと思います。
一つは「計画的ではない」こと、一つはいつも「どうにか成る」と思っていることです。
癌という病を戴き、さすがにどうにかなるといういい加減な想いは無くなりましたが、どうにか成るは、私の人生の背景に常に流れ続けていた「賛歌」なのかも知れません。
雨上がりの参道にしよう!!と決めて、実際には雨なんか降って居ないのに、それに向かおうとして居ます。雨の跡を感じさせるには、水たまりが必要だとか、それが水たまりに見えねば成らないなどと考えながら進めて居ます。
そして、ここに参拝者に歩いてもらう、なんて、全く無計画な振る舞いです。絵は何を描こうと自由ですね。人生も同じ、自由です(不自由と思えば不自由です)、癌も自由に私に宿りました。
その癌を責めることもこの頃は無いです、自由者同士、お互い命名もして(癌の方は命名しているとは思えませんが)共に生きようと思うように成りました。癌も私が死んだら、死ぬしかないので(笑)、少しは考えているかも知れません、共存を。
これから参拝者を描き、もう少し光を招いて行きたい、水たまりが見えるよう乞うご期待!!です。
失礼しました。
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