人生最後の話し相手は
バーテンダーが良い。
これはいつも聞くラジオで、パーソナリティが話していた。どんなシュチュエーションで出た言葉だったかは忘れましたが。
バーテンダーとは、こういう意味だろうか・・・・、
人生の達人に見える人
私のことを全く知らない人
でも、人の話を聞くことが出来る人
ただ淡々と聞くことが出来る人
こちらが何者であるかは、興味がない人
掻い摘んで言うと、人生の酸いも甘いも体験したであろう他人、ですね。
☆ちょっと若いですかねえ、そして蝶ネクタイでないと(笑)
これは結構魅力的だなとは、思いました。大問題の責任を押し付けられ、それを心にしまったままあの世に行かねば成らない人例えば、政治家秘書さんなんかは、そんなことが多いのではないかなどと。
小さな嘘をついた過去を、誰かに話して置きたい、そんな風に思う人もいるでしょう、あの時あのバナナ(昔は貴重でした)を食べてしまったのは私です、とか。
そんな個人の馬鹿な話を、グラスなんか磨きながら聞くでもなく聞かないでもなく、振る舞ってくれる人、絶対に否定をしない空気は、話し手に安心感を与えるかも知れない。
人生、最後の話し相手は、バーテンダーが良い。
そうかも知れないと、何度も思いながら、でも違うかな俺は。俺の話を聞いてくれなくてもきっと、最後の話し相手には妻が良いと思いました。
妻は相槌は上手いが、殆ど話を聞いていない、それはこの40年の歴史が証明をしている、でもその何気ない日常の中で、自らはそのまま黄泉の国に向かえたら、それは最高かも知れないと。
言い直そう、人生最後の話し相手は、例え向こうを向き話を聞いてくれなくても妻が良いと思いました。
そして更に思いました、やはり私が先に逝くことが何より大事です、自分が妻を看とるなんて、考えられないのです。
失礼しました。
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