怒っている人達
残念ながらこの頃良く見かける、怒鳴っている人、怒っている人達は、私と多分同年代かちょっと上かと思われる人達に多い。何せこの年代、団塊の世代などと言われ、人数が多いですから(笑)
先日も、コンビニでご同輩と感じられる男性が、レジ前で切れていた。彼は並ばないでレジに向かい、注意されたのです。並んでいるのなんかわからん!!というのが彼の主張で
、この時点で、社会に出ることを止めた方がよいと思いました。
しかし一方で、何て気が短いんだと驚いたんです。申し訳ない気がつかなくてと、並び直せばそれで良いのですが、怒り始めたらもう際限がないのです。
店長らしき人が出て来て、事なきを得た形でしたが、もっと分かりやすくしろとでも言ったのか、迷惑なことでした。
ところで、怒りとは何でしょう。
アドラーはこのように言っています。
怒りとは2次感情です、ですから一次感情無しに怒るということは有りません。その怒りの底には、悲しみや苦しみ、長い人生に於ける未解決な物事、それらがマグマのように人の心の奥底でくすぶって居ます。
火山が噴火するように、何かのきっかけで、それらのくすぶりが出て来るのです。ですから、怒っている人達はもしかしたら、何故自分はこんなに感情を高ぶらせているのかは、分からない可能性も有ります。
ところで私は、気が短い方と思って居ます。工場メンバーに対して、何なんだ、何故出来ないんだ!!と怒りを露わにして来ました。今から10年程前です。
何故、こうも感情がコントロール出来ないのか、その時に出逢った言葉がアドラーの言葉でした。
怒りは2次感情、その奥には悲しみや苦しみがあると。約束を破られた時悲しかったり、嘘をつかれた時に苦しかったり、そんな気持ちが「怒り」を誘発するんだと理解した記憶が有ります。
約束かあ、そうだ!!、俺はそうしよう、怒らないと自分に「約束」しようと。
そう、ある時、怒らない、俺は怒らないと己に約束したのです。
それが100%守られたとは言い難いですが、何か起きた時、自分に言い聞かせて来ました、それは「約束」したよな、お前と俺とと、心の中で葛藤しついには「約束」が勝つのです。
もっともそうやって自問自答している内に、色々な感情が溶解してしまうのですが(笑)
失礼しました。
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