WHO AM I
ある本に、日本人が一番死を怖れる、又は怖がると書かれていた。
世界中で一番という意味ではないだろう、先進国の中でとか、そういう比べ方だと思いました。でもそれは何故なのか、ご想像通りかも知れません、そうです「宗教」の違いなのです。
日本人ほど、お寺に参り、神社に参っている国民は有りませんね、明治神宮のお正月だけで300万人、物凄い数です。
しかし、その日本人の殆どは無宗教と答えますね、神社やお寺にお参りに行く割には、宗教を信じてはいないのです、
多くの宗教は、その経典の内容こそ違いますが、いわゆる「来世」を教えて居ます。多くと申しましたが、全部と言っても良いでしょう。
簡単に言えば、人はこの世を終わると、天国に行くという教えです。
日本人は、八百万の神の下に生まれながら、神を信じている人は余りおりません。明治神宮にお参りにいく300万人の殆どが無宗教なのですね。
人は生まれた途端に、死に向かって旅をする存在です。生まれなければ死ぬことは有りません。その死を迎えんとした時に、日本人は慌てふためくのです。自分は死んだら全てが無に帰すことを、怖れる、何処の国民よりも怖れるのでした。
それが、来世という考え方が、抜け落ちている結果なのですね。
来月で、私の余命の月が来ます。平成28年5月吉日、私は泌尿器科のお医者に後2年だなと、聞いても居ないのにその言葉を迫らせました。
私も殆ど無宗教です、大自然の働きそのものに、神を感じるような気持にはなるのですが、いわゆる宗教を心のバックボーンとして生きたことは有りません。
ただこの頃、こう思うことは有ります。自分という存在はある時、ある所に生まれ出たこと、そうならば必ずいつかまた、何処にか生を得ることだろうと。
しかし、それには何の意味もないことも分かっています、何故ならばこの世に生を受けた時に何も覚えていないように、何処かで得た生は、過っての私を知らないだろうからです。
でも思います、知っていたら大変ですよね。前世の自分を知っていて新しい生を生きるなんて、出来ないだろうし、それは嫌かも知れないし、知らないからこそ面白い人生が築けるのかも知れませんから。
WHO AM I
時折、鏡を観ながら、こういう質問をすることが有ります。
失礼しました。
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