絵を描いたり
シミを抜き、色を掛けたりと、これが私の仕事です。
こんなことに何か、小さな運命のようなものを感じて成りません。つまり、いつでもどこでも私は「筆」を持っているのです。
洋服のシミは、酸性が強ければそのまま服の色素を破壊します。それは生地によって違いは有りますが、所詮生地は人が染めたものです。
染めたものは剥がれて行きます。
水彩画も、放って置くとドンドン色素が飛んでいきます。見ているだけでは分かりませんが、色あせてしまうのです。ですから、展覧会場などは光りを落としている訳です。
油絵は、色素を油が守っていると聞きました。水彩画は、色素そのものが表に顔を出しているのですね。
仕事で筆を使い、趣味でも使っていることで、私の右手は(実は左利きなのですが、小さな頃に母から、食べるのと書くのは右手にしなさいと訓練されました、お蔭で両刀使いとなれました(笑))、何となく汚れて居ます。積年の結果なのだと思って居ます。
☆これは私では有りません、京都のプロです。着物の色掛け師に言わせれば、クリー二
ング屋の色掛けなんぞ、何ぼのものかい!!と思っているでしょうねえ。
色は、当たり前ですが、その物自身が持っては居ません。太陽の光のどの色を反射するかを人は見ている訳です。つまり、所詮は錯覚なのかも知れません。
生業となった今の仕事、求めてなった訳では有りませんが、この道はどこへ行くのだろうと知らずに歩いていたら、いつの間にか良い景色に出会った、そんな感じです。
今は少し、生に執着して居ます。
失礼しました。
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