シクラメンの香り
今日は妻と、久しぶりに外出しました。
私が大腿骨骨折をして今は普通に歩けるのですが、それは危険と妻が腕を取って来ます。
不思議ですねえ、もう何年も手を繋いで歩いたことなんか無かった、そんな時期が続くと何だか照れくさくなり、夫婦って、気取ってしまうのですね。
でも、このような大義名分が出来ると、そうだなと自然に昔に戻るのです。お互い顔を見合わせると、シワだらけで、それも笑いの元なんですが、何故かそのシワも懐かしく思うのです。
そうだなあと、私は勝手に43年くらい前を思い出して居ました。
私は27歳、紀州熊野へある決意をして、車で出かけて行きました。そこは妻の故郷なのですが、向かったのは、兄の友達の家でした。兄の友達は、熊野の網元(43年前にはこんな仕事も有った)で、それはそれは大きな家でした。
でも私の目的は違って居ました、そうです、その熊野から数キロ離れている神志山という故郷に帰省しているはずの、彼女に逢いたいと思ったのです。
彼女とは東京で知り合い、絵の教室のようなところでも、話をするようになっていて、田舎が熊野で、なんだ自分の兄の友達も熊野だと、話が盛り上がっていたのでした。
チャンスは一度、それを逃すことは出来ない、だから来たんだと自分に言い聞かせ、メールもスマホも無い時代、家に電話を掛けるしかないのです。私は決意して電話を掛けました、親父さんが出たらどうしよう!!などと考えながら、ドキドキしたものです。
もしもし~、ラッキー、彼女が出たと思った私、でも違いました、それはお母さんでした。
声が若い!!、最も女性は電話に出るとオクターブ声は上がるのです、それで間違えた、でもその時お母さんは誰が電話して来たのかを察してくれたのでした。
熊野の網元の家から、神志山までは約15分くらいです、私は車を飛ばしました。
彼女は心底驚いて居ました、まさか東京から14時間も車を飛ばしてくるなんてと。
そしていわゆるデートというやつ、でもいざとなっても気の利いた言葉も出ずに、何とも歯がゆいような時間が過ぎたのです、そしてまさにシラケ鳥が飛ばんとした時に、ラジオから流れて来たのが「シクラメンの香り」でした。
確かその時は、布施明ではなく、作曲者である小椋圭の歌声でした。
車は、那智の滝に差し掛からんとして居ました。そしてラジオからはシクラメンの香り、全くの偶然とはいえ、シュチュエーションはばっちりだったのです。
でもこの歌って、失恋の詩だったんですね、後で気づきました(笑)
青春、それはエネルギーそのものでしたね、そのエネルギーを彼女は感じたのかどうだったのか、改めて聞いては居ませんので分かりませんが。
久しぶりの外出で、妻の私への介助のような姿に、ふと思い出した昔事でした。
小椋圭さん、ありがとう、良い歌でしたよ・・・、
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