西郷ドン 終わりました。
だからどうと言う訳でも無いのですが、家では私が一人で泣いているのでした。最もあとは妻しか居ませんが。
まあ、観ていない方には、何のことやらですが。
時代がその人を求める、その時代を納める人が現れる、まさにそういうシュチュエーションだったと思いました。
そしてもう一つ、この物語を見ていて、何故戦争が起きるのか、正しい戦争なんて無いのですが、これはその内でも、最も正しきに近い戦争だったと思わせられました。
西郷の最後の言葉「もうこの辺でよか」と、切腹して首をはねられるのではなく、銃弾に倒れて最後の力を振り絞り仰向けとなった西郷の目の向こうには、鹿児島の青空が広がって居ました。
その目は爽やかだった、そう感じました。
その後、日本では武士の内乱は起きなかったのです。西郷は自分が死ぬことで、そのことを予言して居ました。一蔵どん、良い社会を作ってくれと、一つも大久保を恨んでは居なかったのですね。その大久保も翌年には死ぬのですが。
☆親鸞と法然
人柄、西郷どん物語は、西郷の人柄の物語だった、そう感じて居ます。人柄、それは人生を決定づけるのかも知れません、以下は親鸞の人柄を現した下りです。
◆流刑地に送られた親鸞。しかし、親鸞にとってどこであろうが関係なかった。その地の人々は親鸞の人柄に触れ、天台宗から浄土真宗に改宗したと云われる。その方の行くところがお浄土になる。ここで相田みつおさんの詩を引用します。
あなたがそこに ただいるだけで
その場の空気が あかるくなる
あなたがそこに ただいるだけで
みんなのこころが やすらぐ
そんな あなたにわたしもなりたい
おそらく、親鸞はそんなお方だったのでしょうとのこと。極楽、地獄は向こうにあるのではなく、自分の心ひとつ、生き方ひとつで展開する。
では、もう一度、増田宗太郎の西郷への想いを現した言葉を・・・・、
「吾(われ)、此処(ここ)に来り、始めて親しく西郷先生に接することを得たり。一日先生に接すれば一日の愛生ず。三日先生に接すれば 三日の愛生ず。親愛日に加はり、去るべくもあらず。今は、善も悪も死生を共にせんのみ。」
こんな人たち、現代では何処を見ても居ませんが、この日本が本当の危機に襲われるような時代が見えた時には、何処ともなく、第二の親鸞や西郷が現れるのでしょうね。
何処かにいるんですよ今でも、ひょっとしたらパチンコしているかも(笑)
失礼しました。
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