夏休みの計画のように
こうとしか生きようのない 人生がある~
こんな歌が有りました、確かアリスの歌ですね、もうアリスって言っても知らない方も多いかとは思います。
昔昔、この歌を聞いたときは、そうだよな、そんな人生もあるよななどと、自分自身の自堕落さを自分で共感し、援護を受けたような気になっても居ました。
でも、今思うと、この歌詞は甘えているだけと思いました。
今の私の病は、まさにこの歌の通りです。こうとしか治療の無い病がある~と、歌にしたいくらいです。でもそれは治療の方法のことで、人生から考えるとほんの一部に過ぎません。
病により、人生の一部を束縛されても、心の自由までも奪われることはない、そう思いました。
人は誰でも必ず死ぬ、その死を、ちょっと手前で区切られる、そんなことだけだと思います。
余命宣言で、人生の何もかもを失う、そう思う必要もないのだなとこの頃痛感して居ます。でもまあ甘い余命宣言、もしこれがあと一か月ですと言われたら、これは違ってくるとは思います。
夏休みの計画のような人生、そんな人生を送れる初めてのチャンスが訪れたのです。もっとも私は本当の夏休みに、計画を立ててそれを成就出来たことは有りません(笑)
しかし、時間は大切にせねば成りません、結構楽しみにしていた飲み屋街の付きあいを、最初に止めました。下らない時間を排除したのでは有りません、それは私にとって楽しい時間なのですが、この際、先ずはこれを止めねばと思ったのです。
たいした生き方の変更ではないです、壮絶でもないです、何だそんなことかと思われる日常を、少しずつ変えて来ました。
山登りでは有りませんが、ふと振り返ると、もうこんなに登ったんだと遠くの景色を眺めることが有ります。そんな感じでしょうか、そしていつの間にか、
こうとしか生きようのない そんな人生は無い!!と・・・、この頃そのように実感して居ます
この私の人生観を変えた(すみません、飲み屋に行かなくなっただけ)のは、この病です。
この病の宣言を受けなければ、もしかしたら今頃、会社は廃業、家族は霧散、そんな現実が有り得たと、強く感じるこの頃です。
夏休みの計画とその実行、人生の店じまい、それはもうしばらく続くと思っております。
すみません、それまで、懲りずにお付き合い下されば幸いです。
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