水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

3.11(風化することないように)

皆さん、この記事を書かれています。


昨日、別れた友と話をした時、友とは思い出を共有することだと、それも友の大切な一面だと話をしました。


たとえ、亡くなってもそれは消えないのです。


3.11、これには強烈な思い出が有ります。そしてこのことは多分、毎年書いているのです、風化してしまわないように。


☆アリーナの被災者コーナーです。



3.11後、私共近くの等々力アリーナへ、福島から家族が、何組も避難して来たのです。私共に市議会議員から電話が入り、この方たちの洗濯をしてくれないかと、それもボランティアでと、提案が来たのです。


う~ん、心はやらせて貰いたいと思ったのですが、いや、出来るかな、またやって良いものかと、会社へ持ち帰りました。


 何かお手伝いを!!と、パートさん達の意見、私達もボランティアでやりますと、でも、心は揺れている私でした。パートさんにボランティアか、それが許されるのかと考えているときまた、議員からの電話です。


私は引き受けました、そして早速、避難のご家族一家に、洗濯をさせていただくことご提案致しました。体育館が段ボールで仕切られていて、沢山のご家族が避難されて居ました、その数、約50組くらいでした。


一件、一件にご説明した一番大事なこと、それはプライバシーのことでした。そしてもう一つ、洗濯は女性パートが行うこと、これが非常に大事なのでした。


翌日の朝、アリーナを赴くと、有りました有りました、ビニール袋に入った洗濯物が、何と40袋(45リットルのゴミ袋と同じ)くらい置いて有りました。


うわ~、これは大変だと、一袋にどれくらい入っているんだろう、と思いつつ工場へ持ち帰りました。納期は夕方です、出来るかなあと。


早速パートさん達が袋を開け、中味を確認、一袋に平均で30点くらい、40×30=1200点!!、この点数に、実は参りました。


その日は、これしか出来なかったのです。つまりいつものお客様のクリーニングは、完全後回しとなったのです。


翌日朝、私は議員さんに提案、もっと他の業者もお願いしたいと、それは声を掛けているのですが、今のところは難しい状況です。また今、洗濯機を手配していますから、それが来るまで、何とかお願いしたいと懇願されたのでした。


それから洗濯機が来るまでの3日間、洗いました、そしてこういうことはどうなのかと思いながら、コインランドリーにも行きました。


その内、被災者の方々も慣れてくれば、コインに行ってくれるだろうと思いながら。


三日間で合計約3000点、洗いました。その間、新聞が取材にも来ました。ここで余計なことは言えないなと思い、取材は断りましたが。


少しでもお手伝いしたい、何か出来ることはないかと思っている時に天から降りて来た、ボランティアでした。お陰で、お客様にはお叱りを受けました、お手伝いをして遅れてしまったとは伝えませんでしたので。ボイラーが故障とか、色々言い訳はしましたが(笑)


でも、パートさん達は偉かったなあ、奉仕の心満点でした。こういう方々と仕事が出来て嬉しいと、会社の真っ赤な数字を頭に描きつつ、必死で過ごした数日でした。



友とは思い出を共有すること、このことで毎年3.11に成りますと、パートさん達と盛り上がるのです。大変だったね、よくやったねと、ほんのほんの少し、お手伝いが出来たと、それこそ、それぞれの胸に思い出となって刻まれたことと思います。



お亡くなりになった方々にご冥福を、そして、未だ発見されない方々にはなんと申し上げて良いのか分かりません、すみません。