二つの命
一人の人間には、二つの命があると、この頃痛感して居ます。
それは、肉体の命、そして心の命です。
重篤な病となった時私は、病に犯された身体より、心が傷み、萎え、自分の心が自分で取り戻せないような世界に入って行きました。
余命二年かあ~、それを告げられたのは「心」なのでした。
しばらくは何も手につかず、どうやって死のうかと真剣に考えました。何故って、管だらけで病院のベッドで、モルヒネを打たれながら痩せ衰えた体で死んでいくのは、耐えられないと思ったのです。
こんな状態の時、心と身体は、一体なのです。良い意味での一体とは違います。心がどんどん病の身体を悪い方向に引きずり込んで居ました。
この一体感は、もう少しで会社も巻き込もうとしたのです。もうどうでも良いと、投げやりな心が、会社をも道ずれにしようとしたのです。
そんな時私は、あるパートさんから、こんな言葉を聞きました。
私は死ぬなら癌が良いと思って居ます、癌が出来る場所によってはそうは行かないかも知れませんが、多くの癌には「時間」あると聞いて居ます。それは考える時間です。
人生を仕舞う、どう仕舞うのか考えて、それをちゃんとやって行きたいのです、と。
何故そんなことを?ですか、それは・・・・、
私の家族(祖父と祖母、そして親戚達)は、全員とは言いませんが、ある日突然倒れて亡くなる、そんな死に方が続いたのです。そんな死に方は駄目!!、その本人の気持ちも、今ま一緒に暮らしてきた家族も、ある日すっぱりと切られた材木のように、意志が切られてしまった、こんな残念なことは有りませんよ、と、涙を流されたのでした。
私は、その言葉に驚き、唖然とし、そして同時にこんな言葉を思い出したのです。
天に口なし、人を以て言わしむ
神様は、直接人間に語りかけはしません、でも、時折、誰かの口から大事なことを言わせることが有ります。
癌が良いか~って、何てこったい、俺は自分の不幸を心に詰め込んで、いったい何をしようとしているんだ、と。
考える時間?、何だそれは、考える時間?、何だそれはと
長く長く、自問自答しました。
実は考えて見れば、そのパートさんの頑張りで、会社はだんだんと良くなって来ていたのです。それを裏切ろうとしていた私、それこそ何てこったい!!、です。
何てことだ、俺は、何をごちゃごちゃにして居たんだ、病は重篤だが明日死ぬわけではないではないか、それは、つまり病と成った身体は、病院に任せれば良いではないか。
心は別なんだと、彼女は教えてくれたんだよ、こんなこと誰が教えてくれる、と、私はいつか「二つの命」の存在を感じるようになったのでした。
それから、時折、肉体の病に引っ張られそうになった時は、お前は病院に任せたのだから、心を誘惑するな!!と叱るのです。
心には、頼むよ、会社の未来を、パートさん達と一緒に拓こうではないかと何度も何度も叱咤激励をしました。
それから二年、宣告された余命は過ぎました。でもそれは過ぎたということだけで、癌が消えた訳では有りません。
その真実を心は今、冷静に眺めていると感じて居ます。でも、本当の末期になったら、またゴチャゴチャとなるでしょう。それはその時と、今は思えます。
ありがとう、パートさん、天の言葉、受け取れましたよ、こんな私でも・・・、会社はお陰様で、だんだんと良くなって来ましたよそれは貴女が、一番肌で感じていることでしょうね。
ありがとう、本当にありがとう。
ここまでお読み下さりありがとうございました、長文失礼しました。
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