水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

自分が自分を見放してはいけない

かなり以前のことです。


ある飲み屋で、くだを巻いていた時に、偶然隣の青年と意気投合し、話をし始めたことが有ります。


私の心の中は、会社は諦めよう、みんな出て行ってしまう、居るのは稼ぎのない職人ばかりと、苦情の山でした。そんな私の心はバレバレだったのでしょう、でも、青年は私にこんな言葉を浴びせました。


ご自分を見放すのですか、と




うん?、何を今言われたんだ、私はほとんど酔っぱらっていて、それ以外の会話は全く覚えて居ません、しかし、この言葉だけは脳裏に刻まれたのでしょう。


でも、意味は分かりませんでした。私が見放そうとしているのは、会社やその構成員達、全然自分は見放して居ないよなと、馬鹿な考えしか浮かびませんでした。


ご自分を見放すって、何だろう、あいつ大した奴じゃ無かったよな~、でも、何でこんなに気になるのか。


あいつも逃げた、逃げたとはお客様を持っている宅配が、お客様を持ったまま独立していくことです、あの営業所も他の業者に出し始めた。それもこれも全部俺の責任かと職人さん達の私を責める言葉を、夢の中のように聞いて居ました。


もう、止めた止めた止めた!!と、撤退の決意をしようとした時ふとある光景が目に飛び込んで来ました。


それは・・・・・・、


若い宅配員達の、真面目に働く姿でした。


そうだ彼らは廃業した前の会社に、高校卒で入社して来たんだと、それも面接したのは俺なんだ。そう思って見ていたら、己の無責任さと、彼らの純真さが重なり、落涙していたのです。


その時ハッと気づいたのです、会社やメンバーを見放すこととは、自分を見放すことと同意ではないか、と。


あの青年の言葉に今頃、目からうろこが落ちたのでした。


彼らと、もう一度、会社再生に向かって見よう、少なくとも私がそんな後姿を示して行かねばと、進みはじめました。彼らを見放さないことが自分を見放さないことだと。


これは今から10年程前の出来事です、そして必死で前に進み始めた私ですが、強い向かい風に何歩も何歩も下がり続けた日々でした。売上は、創業時の三分の一まで下がりました、でも進み続けました。


それから3年目、彼らはすっかり大人に成りました、ある日独立をしたいと申し出が有りました。それはその前に私が提案をしたことでした。独立して、一国一城の主となり、自分たちの為に稼ぐという形です。


会社のお客様を私は全部、彼らに渡しました。これは実は冒険でしたが、彼らを信頼しそのような結論を出しました。それを彼らは受け入れ、生き生きと働き始めました。


あれから8年、彼らが独立して5年、会社は助かったのです。そして、私自身も助けられたのです。


でもこれは本音、再生までの8年は、長い長い、長かったです。


何が有っても、どんな状況でも、自分が自分を見放してはいけない、どんな悪い状況でも見方を変え、方向を変え、今までの価値観を変え、自分の生き方も変えて行けば、必ず再生の道は拓ける、と。


失礼しました。