何気ない日々の大切さ
朝、太陽が昇り一日が始まる、その始まりを当たり前と思いつつ、でも、これが実は当たり前ではないとこの頃、確かに思うのです。
その朝、妻が昨日の愚痴を言う、そうだったのかと、片耳で聞きながら今日の仕事は大丈夫だろうかと、想いを馳せる。
何だ貴方は私の言うことを聞いていないと、妻の言葉を聞きながら、私は出勤の時間となるのです。
太陽、妻の愚痴、聞いていない私(実は聞いていると思って居る)、そして出勤、これが私達夫婦の何気ない朝の風景です。
この後、妻は、昼過ぎより、カフェにパートに赴きます。
忙しいカフェ、その仕事の中味を聞いて居たら、これはこれで大変だ!!と思わされます。
その忙しさに伴う妻の愚痴は、いつもその翌朝の日課となります。
結婚して41年、もう少し妻に豊かな暮らしをしてもらえるかなと思って働いて来たのですが、会社が傾き、新しい会社は上手く進まず、いつの日か妻に給与を運べなくなった時、妻はその前から、いつの間にかパートに出て居ました。
何気ない日々の形と内容は変わりましたが、私が出勤し、妻がパートに出るという新しい「何気ない日々」はいつの間にか始まって居ました。
人生の途中で、変わりながらも続く「何気ない日々」、それは、ずっと続くように錯覚し、でもある日、コンセントが外れるように、ポンと終わります。
今日過ごした日常が、明日も同じようにあるとは思わない、そんな緊張を心の内側に持ちたいと思いました。
そしていつも思います、何気ない日々に感謝と、今日の貴女に感謝ですと・・・ありがとうと。
失礼しました。
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