水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

潰れるんだったら早めに言ってくれ!!

この言葉、今でも忘れません、いや、これからも忘れることは無いでしょう。


言葉の暴力が叫ばれている、時に言葉の暴力は、体罰よりきついことがあります。それは、いつまでも心に残り続けることがあるからです。


この表題の言葉、私共は当時(10年くらい前)クリーニングの下請け工場の立場で、この表題のような言葉、これに近い言葉はかなり聞こえて来ました。


しかし、この表題の言葉が何故こうもグサッと響いたかと申しますと、これを言った人が、元仲間だったからです。



以前にも書きました、今の会社は、古い会社が倒産し、その後工場の職人さん達の就労の場として、立ち上げたのでした。


その時、お客様を管理している営業の代表(会社に対しての反旗のリーダー(以降 H))は、その仲間達と話し合った結果、しばらくの間クリーニング品を、この立ち上げた新しい会社に出しても良いとなったのでした。


このH氏は、この新会社に、自分達の先輩である職人さん達が居るので、仕事を回しても良いとなったのだと思います。



しかし、その誰も彼もが全員、旧会社に世話になって来た人達です。お客様と言っても、もともとは会社のお客様です、それをいつの間にか我が物として振舞っていたのです。


一つの土地に、黙って20年以上住み続ければそこに居住権が発生するという、法律が有ります。そんな意識だったのかも知れません。



しかし会社は、順調?に、売上を下げて行きました。これはお客様のクリーニング離れもあるでしょうが、老舗クリーニング会社が倒産したということが、お客様への根本的な不信を招いたのかと感じました。


もう駄目かなあ、と、新しい私共でなくては出来ない仕事を考えて行かねば成らないなと思った矢先、その電話は来たのです。


H   あ、社長、僕だけど


私   こんにちは、〇〇さん、どうしました?


H   噂で聞いたんだけどさ、会社危ないんだって?


私   大丈夫ですよ、厳しいことは厳しいですが、これは何処も一緒ですよ


H   言いにくいんだけどさあ


私   何でしょう


H   潰れるんなら早めに言ってくれないか、もしそんなことに成ったら他の工場を探
    さ無くてはならないからさ~



私はこの言葉に絶句したのです、しかし確かにその通りかもなと同時に思いました。そしてこの人なら(悪い人では有りません、彼は反旗組のリーダー、調整役なのです)、こういう発想もやむを得ないとも思ったのです。


潰れるかも知れないその工場には、彼らの先輩たちが働いている訳です。その先輩達には口が裂けても言えない言葉を、シャーシャーと私に話しているのです。



その頃私は、どんな言葉も正面から受け止める、そう思い始めて居ました。


「所与を正受」するというこの言葉は、多分に宗教じみて居ますが、私が最も納得した言葉の一つでした。


この野郎!!という負の想いは、一度何処かに置かせていただいて、その言葉を正面から受け取ろうと決意しました。


そして誓ったのです、絶対に潰さないと!!、それがこの言葉を正面から受け取ることだと。


私はH氏に伝えました、会社は絶対に潰しませんので、ご安心下さいと。


その後のことは時折このブログに書いて来ました、結果彼らは、会社が潰れなくても離れて行きました。なんやかんや理由をつけて、何だ、全部「保身」じゃないかと。


会社は地球が回るように、お客様も入れ代わりました。古い体質の営業が去ったお陰で、とても住みよい会社になったのでした、これは予想外でした。


あの言葉にイラついた私のままだったら、今の会社は無いでしょう。相手を責めても何も生まれないのが人生です。


良い言葉をいただいた、と、いやそこまで人間が出来ては居ませんので、どんなものをいただいてもそれを「正受」する、それをとことん学んだ出来事でした。


ここまでお読みくださりありがとうございました。