告知のロールプレイ
先ずは京都で、大変悲惨な事件が起きました、亡くなった方々のご冥福を心よりお祈り致します。
告知のロールプレイ、これはNHKの特集と記憶して居ます。記憶しているというのはちょっと驚いてしまって、よく覚えていないところもあるからです。
もう一つ言うなら、呆れてしまったというのが本音です。
3年前に、その余命告知を受けた私ですが、その告知の期限である2年は過ぎました。告知年月より長生きすることは良いことですが、心中の不安は、消えることはなく、深まるばかりです。
告知のロールプレイの場面、お医者さん同士が一人は患者となり、一人が告知をする立場に成ります。その後、役割を交代します。そうやって、告知の練習をするのですが、私は観ていて、これは余り意味がないなと感じました。
何故なら、健康な人同士だからです。そこに、切迫感は生れないでしょう。
私への告知は多分、最初に掛かった先生の「趣味」なのかもしれないと、今は思って居ます。
趣味で命を測られても敵わないと思うでしょう、でも、その病の履歴(世界中のその病の統計)を研究されているお医者がいたとすれば、思わず確答する患者に出会ったら、告知の言葉が漏れる可能性はあるでしょう。
今の私の主治医は、この告知をくれた先生とは真逆で、全く何も言いません。
たまに私が質問をしますと、必ずこう答えるのです。
〇〇さん、十人十色・百人百色ですよ、同じ病でも、必ず同じ運命を辿るということは無いです。現に、貴方よりずっと数値の低い人が、良くない状況になっているなんてことは多く有ります。
身体の中で起きていることは、実は、あまり分かってはいないのです。でもだからと言って運を天に任せるのではなく、過去の累積を集積させた「標準治療」は続けた方が良いでしょう。
つまり、人事の限りを尽くし天命を待つ(これは私が思った言葉です)のです。
今頃、告知のロールプレイかと、やらないよりやった方が良いとは思います、でも何だか観ていて残念でした。
結局はその先生の人間性、まさに患者に寄り添ってきた診察史がそのまま、患者の心に響くのだと思いました。
そんな先生なら、告知されたいとも思いました。
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