病って、師だよね
吉川英治は、「われ以外みなわが師」と言いました。自分以外の人は全員私の師ですと、それ以外の意味は分かりませんが。
これは自分が感銘した人は師であり、そうではない場合は師ではない、師とも思わないという、小さな考えではないことは分かります。
豊臣秀吉は、このことを体験したことでも有名です、信長だけが彼の師ではなかったのです。目下の者の中にも沢山学ぶところがあり、実際学んだと言われて居ます。
私は、生意気で自己中心も甚だしい人間でしたので、私に声を掛けてくれる先輩はあまり居ませんでした、声を掛ければろくな結果には成らないと警戒されていたのだろうと思います。
でも、そんな生意気さも自我も、病の前では、何の効力も発揮出来ませんでした。
病が発見された時には既にステージ3~4、手術不可、放射線不可、対応方法は薬剤による延命のみ、まさにお手上げ状態でした。
我これを成すにあらずして ただ服するのみ
こんな心境となって居ました。
性格悪い私が、ついに師と出会えた、そうも思いました。
我これを成すとは、自分の力で人生を推し進めようという生き方ですね。
さあでは、後半の言葉はいったい、何に服するのか、それは個人個人で違うかも知れませんが、私はあえてこう思いました、病に服するんだと。
これは、病を受け入れるという意味と、病を師として生きよう、そんな意味が込められています。
この数年の病院通いで分かったことそれは、身体の中で起きていることは誰にも分らないのだと、理解したことです。
あとどれくらい生きられるのか、それも誰にも分らないのですが、そうやって命の区切りを与えられると、何故だか、人生が輝くことを知りました。
だから病って、やっぱり「師」だよね。
これは、私に取ってです、誤解無きよう・・・・、
病こそ師、大変臭い言葉ですが、病のお陰で、こんな私のようなものが、やっと人間になれるかも知れない、天使の梯子が降ろされたんだと、感じる日々です。
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