甥っ子の質問
暫く前の話です。
兄の長男と暫く前に呑んだ時の質問でした。
彼はその時、35歳過ぎで、約15年前に廃業した、自分の父親の会社のことを知りたがって居ました。
その会社は、私達兄弟3人で運営をしていた会社(クリーニングと貿易業)で、平成10年の夏前に、廃業をしたのです。
その歴史は古く、創業は昭和9年でした、この三兄弟の父親が田園調布に創業したのが始まりです。
戦後、会社はそれなりに発展し、クリーニング業を展開する傍らで、衣料品の輸入卸を開始し、それを上野アメヤ横丁で売る商売も始まったのです。アメヤ横丁の店舗は最盛時には7店舗まで増えて、クリーニング売上も上回るように成りました。
甥っ子の父親は(私の兄)、その貿易業にのめり込んで行きました。
その順境の時を、甥っ子は覚えて居ました。でも、会社は廃業してしまった、その影響で一番上の兄は脳梗塞となり、それっきり立ち上がることは無かったのでした。
ねえ、おじちゃん、何でおじちゃんが、新しい会社を経営しているの?
ねえ、おじちゃん、何であんな歴史のある会社が廃業しちゃったの?
ねえ、ねえ、と、うるさい甥っ子でしたが・・・・、私は聞きました。
この質問は、お父さんにする質問だよねと・・・、
お父さん、何も教えてくれないんだ、お前はそんなことを考えずに、じっかり自分の人生を歩みなさい!!、って言うだけなんだよ。
そう、その通りと私も思ったのです、でも、言葉には出しません。会社が廃業した大きな原因の一つは、あの当時の大蔵省の総量規制だった、それにより土地担保でお金を貸していた銀行が急な回収を始めたのでした。
そしてもう一つ、この大きな原因の内側には、人間のエゴと、バブルに踊った馬鹿な三兄弟の物語があったのでした。
私は甥っ子に、何故会社が廃業したのか、それをお前の父親はお前に話さないのであればそれを私がお前に話すことは出来ないし、しないよ、と。
何故なら、それは、私の物語になるからだ、と。
私主演の物語は、私以外の誰かが悪者になったりと忙しいだろう、もしかしたら、ええ!!っという悪役も生れるかも知れない。
でも、三兄弟の一番下の私が、新しい会社を受けたのは、三兄弟で話し合った結果だったと、そう受け取って欲しい。
前の会社の職人さん達を引き受ける為に立ち上げた会社だった、初めの10年は壮絶だった、それを引き受けたのが一番鈍感だった私で良かったと、今は思っているよ、と。
甥っ子は不満だったろう、もっと水戸黄門のように、何処かで印籠が登場するようなスキッとした物語を期待していたのか、もしそうであれば、兄は既に息子を捕まえてでも、話をしていただろうと。
人生という山はいつも険しい、何で?と思う程に険しい、でもその険しさは自らが産んだ景色なんだと、自らの自分勝手が積み上げた険しさなら、何も言わずにただひたすらに上るしかない。
あれから21年、もう甥っ子は質問には来ない、それくらい家庭が大変になった、いや賑やかになった、良くなったんだろうと、ちなみに彼は音楽家、高校の音楽教師をやっています。
そんな立場に成れたのも、高額な音楽大学の授業料を支えた、彼の父親の見えない努力のお蔭と思わねば成らないだろう。
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