水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

ブログという不思議な世界

ご縁という言葉が有ります、袖擦りあうも多少(他生)の縁とか、日々通り過ぎて行く関係にもこの言葉は及びます。


私は、プロフィールに書かせていただいたように、ある重篤な病を得たと知った時、自分の人生を振り返り、妻や家族、そして友人達に感謝の気持ちを伝えて行きたいと願い、このブログを始めました。


備忘録、忘れないように備える記録、そんな意味もあるでしょう。


★お披露目です、アクリル板が有るので、周りの光を吸収してしまいました、大変見えづらくすみません。額も白いマットのある良い物と思ったのですが、高いです。それで昨年使った額に再登場して貰いました。一生懸命描きました、真ん中に鎮座している美しい睡蓮を描きたく、会社から帰り、30分とか、朝出勤前に10分とか、なんだかんだで、一か月くらいでしょうか、何をしても遅い私です。




でも、ブログを書きはじめて3年、想いを新たにせねば成らない、それは馬鹿に出来ないこのブログ内の人間関係だと、それを感じ始めたのはそんなに新しくは有りません。


中傷的な投稿もある中、何でこんなにも心を通わせてやまない投稿に出会うのかと、驚いて来ました。


日々をおざなりに過ごしがちな私に、それらの言葉はクサビを打つように迫ってくる迫力が有りました。



いつしか私は、自分の表面では考えても居ないような内容を書きはじめて居ました。表面とは、朝の挨拶のような関係の中で発する言葉達です。


何度もすみません、私は余命を告げられ、しかしお陰様でその年月をはるかにオーバーしてここに居ます、だからと言って、今の医学では寛解という世界は望めない病の中で生きていることには変わりないと自覚して居ます。


それを引導してくれたのも、このブログにより生み出されて来た、創りだされて来た不思議な世界です。


たまたま知り合えた(いや、全員がたまたまですが)お仲間に、そのお仲間の専門分野を知らずに、その分野の核心的な言葉を投げてしまったことも有ります。


後でそれを知って赤っ恥となり、大変失礼な言葉を送ってしまったと、悔いたことも有りました。



そんなこともある中、何だろうこのブログという人間関係はと、何だろうこの不思議な世界はと、今は、想いを馳せる日々なのです。


もしかしたら私は、どんなに親しい友や家族にも話さない、いや話せない言葉も発しているなと、それが許されるだろうかと考えもしないで、伝えているなと。


そして今、私は実感して居ます。それは何度もここに書かせていただいたこと、それが、
もう一人の自分とのコミュニケーションをです。


この関係が、いやこの関係を知る為に私達は生れて来たのではないかと、今は確信するのです。


この無意識とも言われる世界に君臨している、膨大な自分自身との会話、それを感じられたのもこのブログ交流のお蔭です。


改めて思っています、何という不思議な世界なんだと、真剣なお悩みの向こうに見え隠れする人達の優しさが、万華鏡のように我が心を覆うことを。


お仲間が、どんなにその苦しみ悲しみを吐露しても、それは明日も明後日も消えないことを知りつつ、だからこそその人が発する言葉の優しさが、身に染みる日々なのです。


ありがとうございます、もしかしたらこのブログ、突然止まる日が来るかも知れません、でもその時でさえ私は、ブログの向こう側から、祈られている自分を感じていることでしょう。


失礼しました。