人生は誰でも「波乱万丈」
これはブログお仲間の、牧師さんの言葉です、ちょっとお借りしました。
思い出しました、昔昔のことです。
私の尊敬していた先輩、左頬に大きな痣があり、それはそれは波乱万丈の人生を歩まれて来ました。
汽車に乗ると、左側の痣が見えないように、左側に座ったとか、隠しても分かるのにどうしても隠さずには居られなかったと、話されて居ました。
でも有る時、この痣のままを好きになってくれた女性に逢ったのです、痣なんか気にならないわ、何で隠すのと、指摘されてしまったのです。
先輩はそれ以来、それを隠すことは無かったと言っていました。
ある日電車に乗っていると小さな子が近づいてきて、おじちゃんほっぺたどうしたの?って聞いて来たと言います。母親らしき女性が慌てて、すみません、この子ったら!!、馬鹿ねこちへ来なさいと、子供を引きもどそうとした時
先輩は
良いんですよ奥さん、そして子供に向かって言ったのです。
これはね、痣って言うんだよ、ちょっと血管が浮き出ているんだよ、何でもないんだよって伝えたんだ。
そうしたらその子は、なあんだ、そうなのかと、戻って行ったのです。
そんな話をしながら先輩は、この痣でどんなに親を憎んだことか、どんなに人生を憎んだことか、坊さんの修行もして免状も取ったけど、そんなことは何の解決にも成らなかったんだ。
痣を忘れたことは無かったが、でも、一心不乱に仕事に打ち込んだ、その一途さを見ていてくれた女性がいた、それが今の女房なんだ。彼女は、見掛けや外側なんかどうでも良かったんだ、そういう人に巡り合えたことが、自分を変えたんだと思う。
そして、堂々と顔を正面に向けて生きはじめたら、誰も顔なんか見て居ないことに気づいたんだよ、長い長い、自分の思い込みだったんだ、それはそれは勿体ない時間だったな。
誰もが人生は波乱万丈と言える、でもなあ、それは私のようにただの「思い込み」かも知れないよ。
君たちだって、何で自分の人生はこうも大変なんだ、思うように進まないんだと、小さな波乱万丈を感じているかな、いや、感じているだろうな。
そんな時は、少し自分を離れたら良いと思う、何かそれは思い込みなんじゃないかと、ちょっと思えるかも知れないからね。
もうこの先輩は居ない、大きな痣は決して目立たなくは無かった、でも、全然気に成らなくなったのは確かだった。
人生誰も波瀾万丈、大雨のような人生も、小雨のような人生も、その人に取っては波乱万丈かも知れない、だからこそ、ちょっと自分を客観視できたらなとこの頃ちょっと思うのです。
失礼しました。
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