水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

父とリンゴ 2

やっと会社が軌道に乗り始めたか


創業して22年目で、やっとなどと言う言葉は相応しくないかも知れない


吹けば飛ぶような零細企業、22年前に、先日越水した多摩川の向こうか
ら、落ち武者のように下り辿り着いたのが今の地だった。


しかし、一人抜けまた一人抜け、私から仲間達は去って行った。


そして創業15年目くらいだろうか、売上が4分のⅠまで落ち込んだ時
ある決意が固まろうとしていた。


もう会社を閉じよう、でも、閉じるのにもお金が掛かるから、これはもう
放り出すしかないか、と。


ちゃんとしたい、ちゃんと生きたいと心から願うのに現実はそれをさせない
のだ。


放り出せば勿論家族はバラバラとなる、多くの零細企業の親父達がある日
突然姿を消すニュースは、この界隈でも珍しくはないのです。


蒸発、人間が蒸発するはずもないが、そんな風に消えていなくなる経営者
のいかに多いことか、と。



そんな時だったか、ある言葉に出会ったのです。


社長が諦めなければ会社は絶対に潰れない・・・・と。



そうだな、もう少し頑張って見ようって、借金地獄はそのままに、
会社の再起動を目指し動き始めたのでした。


そしてそれから3年過ぎた頃でしたか、身体の不調を感じ始めました。


その原因は癌でした、その宣告、それも余命付で・・・、



何ということかと、こんなに私の運命は良くないのかなどと思いつつ、


でもなあ、自分に降り注ぐ雨のようなこれらの現実は、それを受け取
りなという課題なんだろうと。


嫌だ嫌だと拒否すれば、もっともっと大きくなって、我を襲ってくる
のだろう。


だったら、受け取ったら良い、それも正面からと


いつか必ず再生させると意気込みで進み始めた会社と、寛解は無理と
宣言された病との、まさに共存が始まったのでした。



それから4年が流れました。


会社は思わぬ方向から、再生への道が現れ始めました、これは私自身
がどこか、不思議な物語を見せられているようでした。


癌は、今もそのままです(薬で抑えられている状態)、絶対に仲良く
は成れませんが、お腹を押さえながらいつも語りかけています。


お前が頑張ると俺は死ぬぞと、そうするとお前も死ぬんだよ、ちょっと
は考えろよ、って。


こんな癌との対話が、続く日々の中、会社は頭をもたげ始めました。


★等々力渓谷、親父と昔昔散歩した思い出です。



ふと、親父の姿が浮かびました、ポマードのついた手でリンゴを剥く
親父の姿が・・・・、


ああそうかって思ったのです、90年近く前に創業された会社、それ
に親父の仕事の日々が重なったのでした。22年前にその会社は廃業
し、改めて創業したのが今の会社でした。


そうか、親父が守ってくれたのかって、そうだよなそれしか無いよな
って。またまたあのポマード付のリンゴを懐かしく思い起こしました。



ありがとう親父、でも病は無理だよね親父、親父も同じ病だったよね
この病、そして良いことも全部親父からいただいたんだな、って。