のどかだったなあ
かみさんの田舎のことです。
ですので、もう、45年は前の話です。
かみさんとは東京で知り合った、そして何だかんだで
私の両親に逢ってもらい、かみさんの田舎からは両親
が上京しました。
その田舎の遠いこと、婚約の時に私は両親を車に乗せて
その田舎である、紀州は熊野まで行ったのですが、15
時間は掛かったと記憶しています。
その時と合わせて、田舎には都合何十回行っただろうか
その度に思ったことがある、それが表題のことです。
☆田舎の裏手を流れる、大谷川スケッチです、鮎がいっぱいです。あまり採る人も居ないのか、それこそ「のどか」です。
そこは、ミカンと稲作の村で、一番の都会は10キロ程
離れている熊野市でした。その間には、本当に何もなく
あるのは、ミカン畑と、田んぼばかり、それを見た田舎者
の親父が、迷言を吐いたのです。
なんて田舎なんだ!!
それはそうかも知れません、親父の群馬の田舎は東京から
2時間くらいです、ここは何と15時間、まだ日本か?と
思ったのかも。
その妻の田舎でしばし滞在する度に思ったことがあります。
なんて、のどかなんだと。
義父と義母は、朝が早いです、もう5時には畑へ二人で出かけ
ます(仲が良いです)。
その時に、家中の鍵は掛けません、だいたい鍵があるのかと
思い調べたのですが、ちゃんと有りました(笑)
義両親が畑へ行っている間に私達も出かけることがしばしば
有りました、その時も勿論鍵は掛けません。妻は東京ではし
っかりと鍵を掛ける人ですが、田舎では人が変わったように
鍵のことは忘れているのです。
そして出先から帰って来ると、玄関は野菜の山だったりします。
誰かが、お~い誰も居ないのかって声を掛けながら、野菜を置いて
いくのです。芋やダイコンや、米や、時にはタコまで。
タコは太地というクジラで有名な港から、誰かが来て置いていった
ものでした。
しばらくすると義両親が、畑から帰って来ました。野菜たちを見る
こともなく跨いで、義母は台所へ、義父は風呂です。
義父が風呂から出るころには、昼餉の用意が出来ていて、
義父が何かを話し始めます。
その言葉、私には理解不能でした、それぞれの方言には独独の
リズムもあり、そのメロディは美しいのですが、よく分かりません
でした。
妻が通訳してくれました、あのタコはどこぞの誰誰が置いていった
んだろう、ダイコンは誰誰と、観ていないようでしっかりと観てい
るんだって思いましたね、その時。
夜は鍵を掛けるのかなあと思っていたのですが、それも外れでした。
これを何と表現したら良いのか、こんな安心な暮らしはあるだろう
かって、はなからこの世には悪い人はいないって思っているのか、
でもなあ。
義父は、戦争軍人で、鬼軍曹と言われた人とか、満州を闊歩した
軍人さんです。かっぱらいや、その他の悪さは、何度も経験した
だろうに。
でも鍵は掛けないんです、留守中に誰が来たかもわかっている、
そういうことなんだなって、これは私の理解を越えた道徳があるな
って思ったのでした。
今はそんなことは無いでしょう、ちゃんと熊野も、泥棒も入る街
となって居ます。
でも義両親は、そんなことも知らずに旅立ちました。
これを幸せっていうのでしょう、それ以外に言葉は見つかりません。
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