水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

ニュートラルが良い

余命を宣告されるような病の物語、読んでいただいている方々はしんどいだろうし、もう読んでもいただけないと思って居ます。


しかし私に取ってこの病は、私を解放してくれている、唯一の贈り物なのです。


余命とは、実は誰にでもあるもの、それは余命50年ですとは言われないだけですね。50年では余命とは言わないでしょうが、それでも余命は余命です。


では、余命数年と、50年では何が違うのか・・・・・。


それは、アクセルを踏むことを止めることが出来るか出来ないか、その違いと思いました。


しかし、アクセルが足元にある以上、目の前に上り坂が続いている以上、アクセルを踏むのを止めることは出来ません。止めれば坂を下ってしまうからです。


でも、いくらアクセルを踏んでも、その車がうんともすんとも動かないトランスミッションの位置が有ります。ニュートラルです。


ニュートラル以外、車は進むか戻るかしか出来ません。しかし、人はその心をニュートラルに出来た時、初めて「解放」を味わうのではないかと思ったのです。


もう進まなくて良いんだ、でも、目の前の課題には深く関わりたい、そうすると仲間達の言葉が聞こえ、風が伝わって来る、家族の想いが吹き寄せて来る、ニュートラルで留まっていると、そんな空気の動きが初めて分かったなあと思ったのです。


そうか、私のような欲望人間は、ここまで追い詰められないと、風さえも感じられないんだと。やっと感じられた「ニュートラル」という安心、その代償は大きいし、神様はいじわるだなあと強く思いますが、でも、余命の宣告と共に、そんな気持ちを貰えたことに、至上の想いを感じるこの頃です。