持久微善を積んで たゆまず
昔昔習った、賢人の言葉です。
その時は、そうだよな、良く意味も分からず、大事なことと思っただけだった、そんな記憶が有ります。
持久とは、たゆまず、後退させず、久しく持ち堪えながら
微善、あなたに出来るであろう「善」、無理のない善、隠れて野に咲く花のような善
こんなことを、たゆまず積んで生きましょう
★田植えのシーズンがやって来ました、そんな情景です。
そうすると、どうなるんですか?と昔私は聞いた記憶が有ります。
そういう賢人の教えを守り、積んで行くとどうなるのかと・・・・、
馬鹿な質問だったなあ
でも今は思います、それをするとどうなるかなんて、誰にも分からないことが一つ
そもそも、その行為がどんな結果を産むかなんて聞くことすらナンセンスなことなのだと
この言葉は、この言葉の中に「心を添えて」が含まれているのだと思ったのは、つい最近です。
心を添えながら、今日一日を過ごす、自分に出来ることは何ですか?と
ある飛行機の中、ある小さな子供が隣の夫人に言葉を投げかけたのです。その夫人は、少し具合が悪かったのでしょう、それを子供は気遣ったのです。
メイ アイ ヘルプ ユウ?
私に出来ることは有りますか?、何かあなたの助けになることが、と。
その夫人は、その言葉だけで、心が晴れやかになったとのことでした。
言葉に心を添える、そのような小さな善をたゆまず繰り返す日常、実際、心コロコロで、出来はしないと思いますが、忘れないでいることは重要と感じました。
それがどうした!!ではなく、そんな生き方をしたいと思える人生、それは目的性を求める人生ではなく、今ここでの人生、今をしっかりと掴む人生に他なりません。
持久微善を積んで たゆまず
今更、良い言葉だなあと思う日々です。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。