水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

何故有る(在る)のか 6

朝日新聞の「それぞれの最終楽章」というコラム、今回は平穏死で、特別養護老人ホームの常勤医石坂幸三氏が書かれています。


(すみません、死ぬ話ばかりで・・・・)


延命治療、石坂医師はこの延命治療をやりたがりません。そのご家族が是非にと頼んでも、それは最終的には仕方がないと「胃ろう」などを施すことは希にはあるのだそうですが。


先生の考えはこうです、多く延命は、延命されるご本人の意思ではないのです。それは家族のエゴであったり、親が生きていることで心の平穏を保ったりと、介護が自らの存在証明になったりする場合が多いのです。


一分一秒でもただ長く生きて欲しいと願うのは、愛情ではなく執着です、と・・・、
厳しいのです。



私はこのコラムを読んだ時(私も延命は望まないからと、妻や子供達には伝えて居ます)良寛和尚の、あの有名な句を思い出しました。


散る桜 残る桜も 散る桜



最初に散る花びらも、最後まで必死に残る花びらも大差ないのだから、そんな命にしがみつくことは余り意味がないと言うのでしょう。



私のお気に入りのブログに、こんなことが書かれて居ました。


それは・・・・、
癌は人生を変えます。もしかしたら短い人生になるかもしれない、そうなったときに、後悔したくないので、できることは全部やっておきたい欲張りさんなのです、と


私はこの言葉に出逢った時に感動し、そしてこう思いました。



人生には、その人だけの課題があると、その人だけに降る雨のような課題があるんだと、人生の意味は何だろうなどと考える必要はない、自分に与えられた課題を正受して、それを丁寧にこなして行くことが結果、その人の人生の意味に繋がるのかも知れないと。


でも、殆どの人はその己の課題には気付かないのです、ですからこれが最後とばかり神様は、気付け気付けとその人に病を与えるのかと・・・・、


良寛和尚はこうも言っています、死ぬときには死ぬが良かろうと、抗わずにそれに身を任せると、逆に生が湧きあがって来ることもあると。


何故有る(在る)のか・・・、人生って面白い!!、例え苦しくても、その苦しみさえ意味がある、だから面白いのだと、それを体験するのが人生なのかも知れませんね。


失礼しました。