かくれんぼ
かくれんぼ 僕はここだよ 日が暮れる
小学生の頃、よく九品仏で「かくれんぼ」をやったなあ、その頃の九品仏浄真寺は、かくれんぼをやるのに、うってつけだった。お墓も広く、本堂の裏側にはそれこそ隠れる所がいっぱいだった。
そんなある日のかくれんぼ、私は格好の隠れ場を見つけて隠れた、でも、その私を誰も見つけてくれなかったのです、遊んでいるのは大方が商人の息子達で、夕方になると家の手伝いをしなければならないのでした。
私は一人とぼとぼと家路につきました、見つけてもらえないかくれんぼ、もうそれは遊びではなく、一つの苦い人生でした。
でも、そんなかくれんぼを、全くそのまま受け入れていた方がいらっしゃった、この話を聞き、そうだよなあと何故か安心したり、笑ったり、思い出したり、それぞれの事情を懐かしんだりと、忙しかったです(笑)
良寛和尚の逸話です。
日も暮れやすい秋の頃、良寛和尚は、例のごとく子供達とかくれんぼうをした。
和尚は、刈り入れが終わって高く積まれた藁ぐまの中に隠れたが、夕暮れになり、子供達は、和尚を一人残して帰ってしまった。
翌朝早く、近隣の農夫が、藁を抜こうとそこへ行くと、奥から和尚が出て来た。驚いた農夫は、
「おや、良寛さま」
と叫んだ。すると和尚、
「黙れ、子供に見つかるではないか」と。
これはどこまで本当かと思うのですが、自分の体験を思うと、あるよなあと思えて成りません。
見付からないようにかくれるのが、かくれんぼ、でも、見つけて欲しいのがかくれんぼ、人は寂しがり屋なんです。
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