妻の想いが聞こえてくる
妻とのなれ染めは、ある勉強会での出会いだった。その勉強会では、写生会なども有った。
私は多分、それを利用したのだと思う。少し絵が得意だった私は、仲間を横目に、彼女に近寄った。ああでもないこうでも無いと、一緒に描くようになったのでした。
彼女は、雲を描いても、木を描いても、全部綿あめのようになってしまう。結局それが直ることは無かったが、付き合いはだんだんと深まっていった。
考えて見れば、絵、様々でした(笑)
☆墓参りの帰り、左側が妻、右側が姉です。二人とも少し斜めです(笑)
あれから45年くらいか、絵などの縁ではなく、もっと深い所に縁があって結ばれたのか、物語を作るのは自由なので、仏教で言う「縁起」の中に今は居ます。
そんな妻が今は寡黙になった、ある日、偶然に妻の手帳を垣間見る機会が有った。偶然というのは、妻が開いて何か書いている手帳が、後ろから見えてしまったのだ。
あるページに私は驚いた、それは数値の羅列で、何か数独でも始めたのか思ったらそうでは無かった。
それは、私のPSA(癌の良悪の数値)という数値だった、毎月出る数値、それに一喜一憂するのだが、妻はその数値を聞いてもあまり反応を示しては居なかった。
何だ、俺の命に無関心かなどと、気付きの浅い、自分のことしか考えて居ない私でした。
そうこれはあの、相田みつをの詩
君看よ 双眼のいろ
語らざれば憂い無きに似たり・・・・
妻のひとみを私はちゃんと見たことが有りませんでした。でもその時、向き合った妻の目は、何とも深い色をしていたのでした。
語らないで、泣かないで、ぐっとこらえて想いを奥に仕舞っている、そんな妻の目に私は引きこまれ、己の浅さに憤慨したのでした。
ありがとう、そしてごめんよ。
いつかは別れが来る、それは分かっていますが、でも私には詰まらぬ望みが有りました、それは私が後には残らないという、自分勝手です。妻を自分が送るなんて、それはきついきついことです。
本当に私は、自分勝手、自分勝手、でも本当にありがとう。
失礼しました。
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