水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

これで おしまい

女性美術家 篠田桃紅さんのエッセイの題名です。


先日、107歳の長寿を全うされました、私の母より年上(笑)
母がもし、生きていたらなんて思うことは無いですが。


前衛書道家と紹介されて居ますが、いや実に凄い書です。


まさに、「書」です!!



☆ありし日の篠田さん、その人です。良いお顔です!!



彼女の言葉を編んでいく内に、私は頭をガーンと叩かれた
のです、それが以下の文です。


107年の生涯を通じてなにものからも自由であることを貫いた篠田さん。彼女は亡くなる直前まで活き活きと創作活動に励んでいたそうですが、その原動力は「自由」だったのかもしれません。


「自由っていうものは寂しいものなの。不自由というのは、いろんなものに囲まれて、守られているし、安定もする。でもほんとうの自由を求める人は、寂しく、孤独で不安であっても、自由というものを持っていることで満たされているんです」


言葉が余りにも深すぎて、想像外なのですが、
彼女の生きて来た時代を考えると、
この言葉が生み出された背景の


すざまじさが垣間見えると共にこの言葉の重みがズシンと
伝わって来るのです。


以下は、新聞記事です、そして彼女の言葉です、ご興味のある方はどうぞ・・・・、



自分の生き方は自分が生み出していかなければいけない。
誰かの影響を受けてお手本のようにやっているっていうのは、
ずうずうしすぎるし、横着すぎる。
自分で苦しんで、自分で摑んでいかなきゃ。


人のことを考えすぎる。
そうすれば自分はあの人のためにやってきたんだと言い訳ができるから。


人にこうして頂戴、ああして頂戴というのは絶対に言いたくない。
私もまた人にこうして頂戴、ああして頂戴と言われたくない。


女の人が一人で生きていたらかわいそうだなんてとんでもないわよ。
日本の男の人って本当に自惚れていると思った。
一人でいることを哀れなこととして見ていますよ。
人が人を幸福にし得るなんて無理、幻想です。


篠田さんが青春を過ごした大正~昭和初期は、女性は女学校を出たら結婚し、子どもを産むのが当然と思われていました。しかし、そのあり方に疑問を感じていた彼女は、結婚を約束した相手がいたにもかかわらず、一人で自由に生きる道を選択します。とはいえ、彼女は「自由」を選択するにはそれ相応の心構えが必要だと説いています。


「自由というのは、気ままにやりたい放題にすることではなく、自分というものを立てて、自分の責任で自分を生かしていくこと。やりたいように振る舞って、人にも頼る。それは自由ではありません。自分の行動を責任持って考え、自分でやる。それが自由で、だから自らに由る(よる=因る、依る)という字を書く。これは簡単にできそうで、心が強くないとできない」


みんな寂しい、悲しい思いをしていますよ。
幸福そうに見える人でも、解決しようのない、
悩みみたいなものを持っているんじゃないでしょうか。
だから人を羨ましがるとか、妬むとか、そういうのは愚かですよ。


若いうちは考えられなかったことを、老いてずいぶん色々感じたり、
知ることができたから、やっぱり長生きしてよかったと思いますよ。


若さは謳歌するもので、賛美されるものではない。
若いときはこうだった、ああだったって、年寄りが過去の自慢話をするなんて野暮。


どうでもいいやと自然のなりゆきまかせ。
でなきゃ、こんなに長く生きて来られませんよ。
いちいち、あー大変だ、あー不安だ、あー憎らしいってやっていたら、
忙しすぎて生きていられない。
たいていのことは、ああそうですかで済んじゃう。


終戦後、精力的に創作活動に励んだ篠田さんは海外からも注目されるようになります。そして1956年、彼女は招かれるかたちでアメリカに渡ります。まだ日本人の海外渡航が困難だった時代。女性が単身で海を渡るのは常識破りの出来事でした。そのときの心境を、篠田さんはこのようにつづっています。


「これまで、自分の人生を年齢や世間の常識などで規制したことは一度だってありませんよ。絵さえ見せりゃいいと思っていた。英語ができようができまいが、私には作品があると。勇気があったとか、そんないいものじゃありませんよ。成りゆきまかせですよ」


篠田さんは成功に浮足立つことなく、どこか冷めた目で自らの状況を見つめていました。それは、「成功したい、有名になりたい」という欲望からも自由でいたいという気持ちの表れだったのでしょう。


「欲望が少しでも満たされると、そこに人は生きがいがあると思ってしまう。生きている以上、そうした欲望の虜になって暮らしてもしようがない、それが現代人の普通の暮らしになっている。欲望というものと、どういうふうにしてうまく付き合っていくか。人間の歴史への問いかもしれませんね」


107年の生涯を通じてなにものからも自由であることを貫いた篠田さん。彼女は亡くなる直前まで活き活きと創作活動に励んでいたそうですが、その原動力は「自由」だったのかもしれません。


「自由っていうものは寂しいものなの。不自由というのは、いろんなものに囲まれて、守られているし、安定もする。でもほんとうの自由を求める人は、寂しく、孤独で不安であっても、自由というものを持っていることで満たされているんです」



自由ってものは寂しいものなの、冒頭の文書が出て来ました。


107年の人生、想像の片隅にも立って居られませんが、
この言葉に出逢えて良かった!!と、


今は感謝する私です。