私という自分
何故だか分からないが、自分という私に、固執して居ます。
表題とは反対ですが、初めにどちらを感じるという意味ではどちらでも良いと思いました。
自分とは何だろう、自分とは誰だろうと、この頃強く思い始めて居ます。
こんなこと、若い頃は思ったことは有ません。
私の記憶は、幼稚園の入園試験から始まります。それ以前は覚えて居ません、ですから私の人生は、この入園試験から始まったと言えます。
それは5才になった頃、私は母に連れられて、ともえ幼稚園に行きました。そして園長先生との面接?、その場で私は「絵」を描いたのです。何で絵を描いたのかは覚えて居ません。
園長 君は絵が上手いね
母 はあ~
私 ただの笑顔
これが「私という自分」の始まりです。
絵が上手いというのは、どうでも良いこと、でもそれを言われた私は、それが逆のトラウマのように心に刻まれたことは確かと思います。
余命を告げられてから、この「私という自分」との別れのことが頭から離れません。
やはり、一番怖いのは、自分との別れ何だなあと、思うのです。
私という自分って、いったい誰なんだ、
WHO AM I
これは、何度自分に問うても、答えは出ません。
でも、確かに、5歳の時に、絵を描いた私は、誰でもない、今の私の64年前の私です。
失礼しました。
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