水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

魂の路上ライブ

妻と日曜日の夜に、蒲田に度々食事に行きます。


だいたいは、ニーハオという羽根つき餃子で有名らしい中華屋で、いつも盛況です。蒲田は物価も安く、ニーハオはそれに倣った良心的でリーズナブルな料金、でも旨いのです。


しかし主題は、このニーハオのことでは有りません。そのニーハオに行く途中、閉まった銀行のシャッターの前で、たった一人でライブをしている、中年の男性のことです。


今日は、私達が少し早かったのか彼はギターをまだ置いたまま、運動をして居ました。ライブ前の運動なのでしょう、結構力が入って居ました。私が、その様子を眺めていると妻が袖を強く引き、早く行きましょう!!とせかして来ました。


聞きたくないのです、彼のソングを、私も聞きたい訳では有りません。何故、彼はここで歌っているのか、それもたった一人で、何故と。


彼の服装は、よれよれに見える背広上下、ノーネクタイ、それは帰ったサラリーマンが着替える途中のような姿です。そんな姿で彼は今日も歌うのでしょう。


多分、自作自演のソング、ギターの音と声がバラバラで、耳にはただの騒音となって響いて来る、でも彼は歌い続けるのだと思いました。



近くのロータリーでは、可愛い女性がやはり路上ライブをやっている、そこは黒山の人、人、ひと、お金を入れる箱にはどんどん音のしないお金が入れられている。確かに上手い声も良いな、妻と聞き入ってしまった。


魂の路上ライブ、きっとそうなのだろう、彼にとっては。でも、誰も聞かない、誰も止まらない、それは多分これからもでしょう。



妻は何故か、こんなことを私にいいました。大変よね、会社がやっていけるのって、大変よね、人一人が食べて行くのって。みんな頑張っているのにそれが叶わない人がいっぱいいるわと。何故か、一人のギターライブの方向を見ながら私に言ったのです。



彼は何故歌っているのだろう、でも、そんなことはどうでも良いと思ったのです。何かが彼の背中を押しているのだろう、何かが確かに押して居るのです。


魂、魂のライブなんだと、それは彼だけに価値があるのだろうと。


人には分からない、自分自身の魂の在り処、それを捜しているんだと私は勝手に思ったのでした。



失礼しました。