火山灰に助けられた人々
戊辰戦争に負けて北海道に追いやられた伊達邦茂とその家臣たち、大変な苦労と粘り強さで、北海道の地を、日本の食糧庫としたもう一つの明治維新と言われていると、NHKで放映して居ました。
なるほどなあ、自分の知らない賢人がここにもまたいらしたと、感慨を深くしました。その中でも面白いなと思えたのが、表題のことでした。
邦茂とその家来たちは、極限の地(当時はそうだった)北海道で、農業をするしか無かった。それは徳川幕府から、24000石の大名から58石の極小大名にされてしまったからです。それも、当時極北の地で有った、北海道に流れたのでした。
その極北の地で邦茂は、全然諦めることなく、農業を開いていくのでした。勿論、家族や家来たちの協力は欠かせませんでした。内地で育つ作物も、北海道ではなかなか実りません、思考錯誤が続く中ついに、小豆の栽培に成功をさせるのです。
でも、小豆には砂糖が欠かせません、砂糖が無ければおしるこは出来ません。そんな中家来の一人が、クラーク博士の指導を思い出すのです。それが砂糖大根という砂糖が取れる大根の栽培でした。
しかし、砂糖大根は実に弱い野菜で、なかなか育たないのでした、その原因の一番が害虫の発生でした。害虫は砂糖大根が大好物だったのです。
どうしよう、砂糖が無ければ、小豆もなかなか広がらない、何とかこの大根を育てる方法は無いのか・・・と、そんな時に火山の爆発が起きたのです、有珠山の爆発です。その火山灰は邦茂達の畑を埋め尽くしました。
しかしそれが良かった、その火山灰は水はけが良く、おまけに害虫は火山灰が苦手なのでした。大根は土よりも水はけの良い火山灰で、良く育ったのでした。
面白いですね、災いが福を呼ぶ、世の中100%悪いことなんて無い、どんなピンチもチャンスに変える力、そんな言葉が過ぎり続けました。
もう一つの明治維新、番組はこのような言葉で邦茂を賞賛して居ました。
もう一つの明治維新、いやまだまだ沢山の維新があるのだろう、誰も知らないだけでしかない。
失礼しました。
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