水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

二つの道

道が二つに分かれている、さてどちらの道を進むべきか


どちらの道も、未開の道、誰も行ったことがない、いや、それは違うかな。


沢山の先人が、同じような迷いの中で、道を選択して行ったはずだ。右を行くのか左を行くのか、それはその人の人生観そのものだろう。



杉原輝雄というプロゴルファーが居ました。関西のドンと言われ、非力ながらも正確なショットを繰り出し、大きなプロゴルファー達の中で一時期トップに君臨した。


私は東名カントリー、ゴルフダイジェストトーナメントで彼のショットを見たことがある、もう30年以上前だが、素人の私から見れば少しも非力では無かった、でもそれが彼の精いっぱいだったのだろう、いつも他のプロ達に第一打は置いて行かれていた。


その杉原が病となった、10年くらい前だろうか、それが私と同じ病だった。発見された時は末期のステージ3~4、手術は不可、ここで道が二つに分かれた。


それは・・・、ホルモン療法をするか、監視療法をするか、だ。


杉原は言った(これは新聞記事にもなっていた)、ホルモン療法は拒否しました、何故ならそれは筋力が弱るから、弱ればただでさえ飛ばない私のゴルフがどうなってしまうのか、せっかく見に来てくれるファン達にプロゴルファーとして申し訳ない、と。


確かにホルモン療法は、杉原の言う通りで、男性ホルモンを遮断するのですから、筋力は落ちる、限りなく女性に近づくのですから。


そして彼はそれから数年の後鬼籍の人となった、記憶では、あっと言う間だった。この事実も、同じ病を得て、良く分かる。進み始めたらあっという間なのです。


今、私の目の前にも、二つの道が見える。これは誰も選んではくれない、当たり前だ、自分の人生なんだから。お医者は、可能性は知らせてくれる、しかしどちらの道の向こうにも時間差は有れ、大きな滝が待ち構えていることには違いはない。



杉原の明確な人生観の前に今私は圧倒されている。


目の前で分かれる道、一つは抗がん剤、一つは放射線、本当はもう一つある、杉原の選んだ監視療法だが、私はそれを外した。それは私に取っては無責任だから。


会社は後5年有れば、水平飛行となる、それまでの責任を全うしたい。そうなれば、後継者に笑顔で別れられるだろう。これは私の渇望かも知れない、小さな自我だろう。


会社の命と私の命が、連動を始めた。



いや間違えてはいけない、私はもっともっと、愛されている私を受け止めねば成らない、心配されている気持ちの流れを見つめねば成らない、自分勝手な連動はご法度かも知れない。


妻のふとした後ろ姿に、それを感じた。



失礼しました。