何故有るのか 3
上出来だった
朝日新聞に掲載された女優 樹木希林さんの言葉です。
2004年に乳がんが発覚、2013年には全身に転移、2018年9月16日逝去されました。
私と彼女の一つの共通点は、左大腿骨骨折です。そして私と同じその部分にはチタン関節が入っているとか、何だか嬉しいような気分でした。
癌は、人生の計画が立てられて良い病ですとは、多くの患者が言葉するのですが、実際はそうでも有りません。
何故、何故、何故!!と、何故自分がと、自らに問う人が殆どでしょう。とても彼女のように、周りに気づかい、癒しの言葉を発し続けることは、出来ませんし、有り得ません。
でも、それは表だけのことでしょうと言われる人が多いかなと思いますが、それはそれです、一人の彼女の心内にはどうしようも無い葛藤が、起き続けていたかと想像します。
でも、それを見せることは無かった、それが彼女の人生観、そして死生観なんだと思いました。
癌という病、今や国民の二人に一人が掛かるというこの病、決して気持ちの良いものでは有りません。そして掛かると分かること、それが非常にやっかいなものなのですがそれは、それに心(全身)が覆われてしまうことです。
俺は癌なんだ、癌なんだと、心が盗まれてしまうのです。
しかし、彼女は盗まれんとした心を、自ら奪い返したのでしょう、その泥棒であるサタンから・・・・・、
上出来だった
この言葉は嘘ではないと思いました。
何故有るのか、私達はこの世に何故生を受けたのか、この答えは多分、一人一人の心の中に生まれるものなのかも知れません。それも、己の人生の終焉を感じた時に、それは発信される場合がある、そう思ったのです。
私は、死に行く人をあまり残念だとは思いません、自分自身の命に対しても同じですと、これも彼女の言葉です。
これを受け、ご冥福という言葉は使わないことにしました。
失礼しました。
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