水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

何気ない日常に 妻への感謝

見ればただ なんの苦もなき 水鳥の 足に暇なき
我が思いかな
                   水戸光圀



光圀のこんな短歌が有名です。




これは、何気ない日常の下で、その日常を縁の下で必死で支えている家族や、仲間の気遣いがあることを忘れないでと、教えているのでしょう。


こういうことって、家族に問題や課題が起きた時に、如実に現れるなあと思い起こして居ます。


そして、その問題が深ければ深いほど、水辺に立つさざ波は高く成ります、それは力で納めようとしても治まらず、人生の課題として高い波と化すことも有ります。



いつだったかのブログで書かせていただいたこと、それは妻の態度について、書かせていただきました。


妻は、私が余命を告げられるような末期の癌と知った時も、非常に穏やかでした。いやそう感じただけかも知れませんが。


私は妻に対して感謝しながらも、何にも感じて居ないのかなどと非常にノー天気な私が居ました。


これもブログに書きましたが、ある日何気なく見えた妻の手帳に私は驚いたのです、そこには癌の悪性度の数値が並べられていました。私は、病院から預かってきた数値の表を、ある場所に整理しているのですが、それから引っ張って来ているのでしょう。


ああそうなんだ、これはまるであの芥川龍之介の「手布」ではないかと思ったのです(手布の物語は以下に、ご興味あれば)。



妻は必死で、何気ない日常を続けようとしている、自分がそれを揺らしたら全部が崩れてしまうと思っている、貴方の病は治るの?どうなの!!、なんてガタガタ言ったら、この平穏は簡単に崩れてしまうだろう、と。


そして一番苦しんでいるのは、この夫だと、それを静かに支えて行こうと思っていると感じたのです。それはまさに、光圀の短歌であり、芥川の手布だと思いました。



全然良い夫ではない私、その自分の過去を思い起こすたびに、脂汗も出て来ます。


すまんなあ、ごめんよ、そして本当にありがとう、それ以上の言葉が今は見つからない私です。