水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

死が、残った者達に問うこと

私は昨年、夏から冬の間に二度の手術を受けました、その二度とも全身麻酔でした。


全身麻酔は、まさに落ちるように意識を失います、それは一瞬でした。


この経験だけで軽々には言えませんが、私はあることを思いました。それは、死ぬという
ことはこういうことなんだという、確信のような想いです。


麻酔の場合は直ぐに目覚めるのですが、死はそうではないという確信です。




何を言いたいのかそれは、死に行く側はそれでおしまい、だから死とは、残った者達に問うのだと思ったのです、残った者達の人生を。


ある私の先輩の奥様が、主人はたった5分で逝ってしまったのですと、涙ながらに語ってくれました。


朝いつものように起き、寝床でおはようと小さく挨拶し、そしていつものように温めのお茶を入れに台所へ、そして戻ったらもう、主人の息は無かったのです、と。その間5分くらいでした。


奥様が一番悔いに思ったことは、主人から何も聞くことが出来なかったことでした。そして、その死を受け入れる用意もあるはずも無かった、物事を受け取るには、それが受け取れる形になって居ないと、受け取れないのです。


奥様はそれからどうしたのか、彼女はその光景を語り歩いたのでした。そうなのよ、たった5分よ、何のメッセージも無かったのよと、語り歩いている内に、ハッとしたのだそうです。


こんな深い愛はないのでは無いか、欲を言えば、もっともっと面倒を見させてくれたらとは思ったが、いつの日か、これが主人の愛と思えるようになった、と。



これは、残された者達の再生への一例です。


この奥様は、物語を作ることが出来たのかと思いました。それは、これから奥様が生きて行くことの「土台」と成りました。


私は思いました、残された者達がいかに「物語」を、自分の人生のストーリーテイラーと成れることが、いかに大事かということを・・・・。


その死が、いったい自分に何を語りかけているのか、自分が産まれてからこれまでの人生の一幕として受け入れ、それが自分の人生を最も深く物語る出来事としてストーリー出来るならば、死に行く者達も、その物語に参加することでしょう。



私の母は晩年、お盆になると、七歳で逝った兄が帰って来たと、ほら階段を上がる音がするよと、微笑んで居ました(認知症では有りません(笑))。


兄の事故死から50年以上も過ぎて、やっと母の人生物語の中に兄は入ったんだと、その時思ったのです。


死は、残った者達が問われることなのだと・・・、


失礼しました。