水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

何番だった? 二番だったよお母さん!!

喜んで私は母に告げた、二番だったと


母は続けて聞いて来た


何人で?


私は口ごもった、5歳だった私、母が喜ぶ顔が見たいと思っていたんだろう。


でも、そこまで聞いて来るとは思わなかったんだ・・・・、


当時、自由が丘に有ったトモエ幼稚園、私はそこに通っていた、父も母も仕事が忙しく幼稚園の運動会に来られなかった。でも、その駆けっこの様子を私はいさんで母に報告していた。


☆トモエ学園の写真(ネットから)、黒柳徹子さんが通った学園です。私が通った頃はトモエ幼稚園でした。これは客車です、運動場の脇にこのような客車が置いてあり、ここでお弁当を食べたりしました。懐かしいです、この客車の横で運動会が行われて居ました。



二人で・・・・、


かけっこは、二人ずつでした、だから一番でないと「ビリ」だった。


何だ・・・・、と、母はそれから何も言わなかった。



その運動会には、母でなく母の母、祖母が来てくれていた。


でも、私は祖母が嫌いだった、何の理由もなく嫌いだった。心の中で・・・、


「お前がいるからお母さんが運動会に来られないんだ」と、馬鹿なことを思っていた。


母を求める心、それは今でも心に残っている。


母の期待に応えたい、そんな記憶が今でもほろ苦く心に残っている。



お母さん、二番だったよ!!


その自分の言葉が、今でも鮮明に残っている。


母をがっかりさせた言葉として・・・