死を見つめる心 2
この本の書き出しを紹介します。
死は、突然にやって来る。思いがけない時にやって来る。いやむしろ死は突然にしかやって来ないといっても良い。いつ来てもその当事者は、突然に来たとしか感じないのである。
生きることに安心しきっている心には、死に対する用意が何も出来ていないからである。
この書き出しの後半部分、「生きることに安心しきっている心には」には、私が病を告げられる以前の心だと思いました。自分が死ぬというプログラムを感じることが無かったのです。
この世で最も確実なことが有ります、朝太陽が昇ることよりもしかしたら、確実なこと、それが「死」です。誰もが必ず死ぬ、これくらい確かなことは有りません。
私達は旅に出る前には、いろいろ用意をします、さてバッグはこれくらいで良いかとか、旅先の気候とか、旨いものとか、電車の時間とか、それらを用意して旅に出ます。この旅が長く成ればなるほど、その用意は周到になり、時間も掛けるでしょう。
では何故、人生で最も長い旅の用意はあまり成されないのでしょうか、それが上記のことと私は思いました。そうです、生きることに安心しきっている心、ですね。
さあ、次に進みましょう、岸本秀夫氏はどんな病に出くわしたのでしょう。
☆野際さん、亡くなられました。
癌の宣言は、私にとって全く思いがけないことであった。寝耳に水であった。その場では私は、自分にとって非常に重大なことを知らされて居ることは分かりながら、その事柄が余りにも重大なので、その本当の意味が良く理解出来ないというような、戸惑った気持ちで有った。
病院からの帰りの自動車の中で、ふと気が付いてみると、自分の心はすでに、異様に緊張して居るのを知った。ほんの一時間程前、病院に向かう時には、冗談でも言えそうなゆったりした気持ちで有った。同じ自動車に乗って居ながら、今は、全く、別人のような気持ちになっている自分を見出した。
アメリカ滞在中に岸本氏は、首の左、あごの下に出来たしこりを検査し、癌の宣告を受けます。余命半年と、それから氏は、生命の飢餓状態に入って行くのでした。
このプロローグを読み私は、自分と同じ感覚だなあと何故か感動しました。この本を買った頃には多分何も感じなかったでしょう。こんな偉い学者さんも、自分と同じような気持と成るんだと、妙に安心もしたのです。
続く・・・・、
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