水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

命よりも大切なもの

もし明日死ぬとしても、今日の花に水を上げましょう。


どなたの言葉か忘れましたが、命にしがみつき、何よりも命が大事と思ってしまうと他の生命に対する気持ちは無くなってしまいます。



昔々、母が相当良くなくなって、私がベッドの横で一晩過ごすことと成りました、そうしたら夜中にそっと私のタオルケットを掛けなおす母の姿が有りました。私はその時、声をくぐもらせて泣きました、気が付かれまいと必死でした。


母には病状の重さを私を始め、家族は隠し通してきたのですが、母は全部分かっていたようです。でも、折角隠してくれているんだから、気づかないふりをしていようと、家族に気遣っていた母でした。


お互い、忖度のし合いとも言えますが、そこにはやさしさが溢れて居ました。



命には、必ず終わりが来ます。そして、命が何よりも大事と思って生きていたら、その人の晩年は、命にしがみつく怖い怖いものになるでしょう。


昨日のブログで私は、余命を宣言されてもそう心が変わらなかったと書きました。それよりも、この病は、生活のクオリティをいつまで保てるのかと、先生に聞きました。


私は立って働き、車を運転し物流し、シミヌキをして工場全体の生産性を見つめて行く仕事です。もし、後3年あるなら、その三年の内に全ての仕事を引き継いでもらおうと思ったからです。


幸い、この病は、全身転移してギリギリまで、入院の必要はないらしいことが分かりました。しかし骨に転移すると、骨が弱くなり、肉体労働は難しくなると見解、では食事で骨をカバーして行かねばと思ったのです。


これで思い残すことはないと、そこまでちゃんとは出来ないでしょう。家族との別れも大変辛いと、考えるまでも有りません。


でも、命より大切なもの、それに気づいただけでも残された生が変わって来ます。死ぬのは怖く恐ろしく受け入れがたいことですが、それよりも私を強く引き付けるのは、残されたこの生を全うしたいという想いです。


もし明日死ぬとしても、今日の花に水を上げましょう。


失礼しました。