水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

今日は、鮎の解禁日です。

6月1日は、今でも鮎の解禁日なんですね、そんな放送をやって居まして、昔のことを思い出しました。


☆鮎は、独特のやさしい香りがしました。梨のような果物の香りでしたかねえ。



それは、相模川の小倉橋の裏手に崖があり、そこに前の晩から場所取りをしました。真っ暗な山から、その崖へ降りて行くわけです。しかし毎年そこに来ている親父は、しっかりとそのルートを覚えていて、ちゃんと相模川の畔の上に着き、そこで夜を明かすのです。


その辺りには、同じように毎年そこを狙って来る釣り人も多く、夜中なのに賑わって居ましたね、それは私が小学校6年くらいのことだったと思います。


眠かった、でも、鮎の解禁という言葉に惹かれてお袋の反対を押し切って親父と出かけたのでした。親父はその頃確か、ヒルマンという車に乗っていました。そのヒルマンで小倉橋までどれくらい掛かったのか、記憶はしていません。


朝になり、周りが明るくなって来た時、そこがどんな場所なのか分かって来ました、そして分かったら足が震えて来たことを覚えて居ます。そこは、本当の崖で、すぐ下に川が流れていて、そこはトロンバと呼ばれている流れで、深さがどれくらいあるかも分からない程でした。


私達が構えている場所は、崖のちょっとした平らな場所で、左右を見ると同じようにセッティングしている釣り仲間が居ました。その場所から川までの高さは3メートルくらいだったでしょうか、ここで釣るのかと、おしっこは?などと、質問なんぞ出来ませんでした。


釣り方は、どぶ釣りというもので、糸の先に、毛バリと言う毛の付いた釣り針を何本か付け、一番したに重りを垂らすのです。


竿は何メートルくらいだったでしょうか、よく覚えていないのですが、かなり長かったですね。小学生の私には、辛い釣りだったなあと記憶して居ます。


☆これは今の小倉橋で、綺麗になって居ます。橋の左側が崖になって居ます、昔はこんなに植物は這えて居なかったと記憶して居ます。この崖に向こう側から降りてきて、野営したのですから、怖いですね。



親父は言いました、必ずポイントがある、そのポイントに差し掛かったら、慎重になと言うのですが、何がなにやら分かりませんでした。重りのついた糸を上流に投げて、上下させながら重りが底についたら上げる、ついたら上げるを繰りかえして下流に流して行きます。


するとどうでしょう、ある所に来ると、重りの上がり際に竿先がグググッと引かれるのです。お父さん、来たよ!!と私。親父は私に見本を見せるように、竿を持ちそーっと上げはじめました。ピカピカっと何かが揺れて居ます、鮎です、タモタモと親父が叫びました。


タモとは網のことで、私は近づいてくる鮎をタモに捕らえました。それが初めての鮎でした、第一印象は、良い匂いのする魚だな、でした。鮎はコケしか食べないので、臭くないんだよと親父、そして美しい姿に感動すら覚えました。


そのポイントは素晴らしく、何匹そのポイントで釣れたのか、覚えていない程です。


☆桂川亭という、宿です。今でもあるんです、小倉橋の横で、この親父さんが船を操るのです。もう他界されたと思いますが、懐かしいです。



親父とのコミュニケーションも楽しかったなあ、余り普段は口も聞かない親子でしたが、こういうシュチュエーションでは打ち解けるものです。これは親父の狙いだったのか、そうだろうと思って居ます。


6月1日が来ると、いつも思い出す光景です。家に帰るとお袋が琵琶を冷やしていてくれました。昭和30年代でしたね、テレビも電気冷蔵庫も何もない時代でした、テレビは渋谷駅の街頭テレビ、力道山戦って居ましたね(笑)


失礼しました。