北海道 駒ヶ岳の思い出
北海道、函館から札幌に向かう途中、何とも風光明媚な山並みが有ります。その中心が駒ヶ岳、妻と娘夫婦で行きました。
山の周りをこのような湖が取り囲んで居ます、入院前に出来上がる予定でしたが、上手くは行かず、加筆修正しました。でも、こうやって見ると、中途半端な絵ですね、もう少し直します。
北海道は、故郷では有りませんが、こんな山並みを見ていると、石川啄木の詩を思い出します。
ふるさとの山に向かひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな
でも、ネットにこんな質問が有りました。
「一握の砂」のある部分ですが、意味を教えてください。
ふるさとの山に向かひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな
これを現代語に変えるとどうなるのでしょうか。特に、言ふことなしの意味がよく伝わらないのです。
なぜ山に向かうと言う事がなくなるのか・・・・・・
何か表面上以外の文章の中の隠れてる意味があるのでしょうか
私は、こういう質問が苦手です、何だか理屈っぽく、分かってるだろ!!と思ってしまうのです。短気で困ります。でも、この質問にちゃんと答えてくれた方がおり、感心しました、こうでありたいと思いました(無理かな)。
☆ベスト解答
吉田兼好の徒然草の中にも「もの言わぬは腹ふくるる業なり」と記されており、
一般的な日本語のイメージとして「言ふこと」は「文句」に通じています。
また、「ありがたき」は「有り、難き」でもあり、韻文の表現としては
感謝の意を表すとともに「数少ないものだから大事にすべき」との意味も含まれます。
よって
「日常生活で積もった不平や不満がふるさとの山(の景色)を見ているだけで洗い流され、もう何も残っていない。
そこにあるだけで心を癒してくれるふるさとの山とは本当に大切なものだなぁ」
という意味になります。
頭良いなあ、そしてやさしい、こんなやさしさ嬉しく成ります。
失礼しました。
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