水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

51対49

この数字は、バスケットでもゴルフでも有りません。


心の中のせめぎ合いの数字です、心理学者故河合隼雄さんが唱えたことで、これが正しいということではないと思います。


だから何だって?


人の心は、例えば善が0で、悪が100とか、そうしたいかそうしたくないか、悔しい悔しくない、悲しい悲しくない、というような感情は、いつも49対51だと言うのです。


100%の悪人は居ない、100%の善人も居ない。


たった2つ動くだけで、反転してしまうのが心という訳です。




☆河合先生の体験です。
あるとき、無理に連れてこられた高校生で、椅子を後ろに向け、私に背を向けて座ったこがいた。このようなときは、われわれはむしろやりやすい子が来たと思う。


この子は、お前なんかと話をしないぞという対話を開始する。「これはこれは、話す気がないらしいね」というと、「当たり前やないか、こんなことしやがってうちのおやじはけしからん……」という具合に対話が弾んでいく。


こんなときに私が落ち着いているのは、心の中のことはだいたい51対49ぐらいで、勝負がついているからであると。この生徒も、カウンセラーのところなんか行くものかという気持ちと、もしかしたら自分のことをわかってくれるかもしれないという気持ちが共存していることが多いというのです。


51対49というのはわずかの差なのだけれど、それは無意識のうちに沈んでいて意識するところは2対0のように感じられる。意識的には片方が強く感じられるが、実はそれほど一方的ではない。



☆昔々の思い出です。


風呂掃除?、俺がやるのか、俺は忙しいんだよ


じゃあ良いわ


そう言いながら、頭の中では妻が子育て、賄い、家の掃除等々、小さい体で良くやってくれているなって、理解しているのです。


でもなあ、言い方だよな、言い方!!、頼み方ってもんがあるだろう!!と思った瞬間自分のアホさと間違いに気づくのでした。


お前は、頼まれやすい人間かって、必死の想いでかみさんが頼んで来たことをどれくらい理解しているんだ、と。


風呂掃除くらい、頼まれる前にやったら?(これが心の中での問答でした(笑))


51対49で揺れて居ると感じました。



家の中ではこんなこと日常茶判事ですね、だったらもう少し賢く生きなければと思いました、たった二人の老夫婦の心の平和の為に。