水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

涙・涙・涙

一昨日のバス旅、殆どのパートさんが参加してくれました。


そのパートさん達の笑顔を見ながら私は、心の中で溢れる涙と戦って居ました。


それはまるで、北原白秋の城ケ島の詩、利休鼠の雨のような涙でした。



走馬灯のように・・・、そんな言葉が妥当でした、創業してから20年の歳月そして関わって来てくれた人達、総勢何名だったのかはうる覚えですが、くるくると回る走馬灯に映し出されるのでした。


苦しかったという言葉が、どこまで当てはまるのか、夢中でやって来たという言葉も本心を覗いてみると相応しくはないなと思いました。


実のところがんじがらめで、逃げようにも逃げ出せないなんて時期も有りました。


毒をくらうなら皿までも、そんな心境も有りました。創業10年目頃からは銀行もそっぽを向き始めて、でもお金が足りないと、走り回った時期、借りられるところは訪ね歩きました。勿論、家族もです。


家族にも、会社は大丈夫だ、必ず再生するから手元資金だけ貸して欲しいと、毎年繰り返す私にいつしか私は「オオカミ少年」となって行ったのです。



しかし一方、あるパートさんを代表に、ある仕事が波に乗って来て居ました。それが衣裳のクリーニング、そしてネット宅配クリーニングでした。彼女らは、自ら研究し、自ら品質を考え、私共独自のクリーニングを作り上げて来たのでした。


真面目に真摯に取り組むことで生まれる「品質」は、だんだんと誰にも、どこにも真似が出来ないものとなって行ったのです。自然にお客様は増え始め、会社の土台を支えはじめたのでした。


バスの中、私の頭の中は、こんなこと達が、もっともっと沢山のことも含めて廻りつづけました、そして、衝撃の癌の宣告のことも、走馬灯の美しい色達に怒涛の黒が投入されたようにそれは、一緒にまわり始めても居ました。



でもなあ、それも含めて自分の人生なんだ、やっと訪れた良いことと共にやって来た重度の病、これはまるであのことではないかと思ったのです。


幸せは「二人三脚」でやって来る


この言葉は、資生堂の社長(かなり以前)の言葉でした。幸せがもしやって来たとしてそれは、幸せだけで来るのではないのですと。必ず負のことも一緒にやって来ます、だから受け取るなら全部受け取らねば成りません、と。


そうだなあ、決して品行方正では無かった私に、幸せだけ単独で降って来るなんてないよなと、そうだな、癌も一緒に正面から受け取らねばと、思ったのでした。



私は、そんなことを思い巡らせながら、バスの先頭の座席で一人、涙・涙・涙して居ました。


感謝の涙です、創業20年、よくも私にこんな時間を下さったと、パートさん達の想いを通じて神に出会ったような感覚でした。


ありがとうございました皆さん、会社は、こんなことしか提供出来ませんが、せめてものプレゼントを受け取って下さいと、心でお伝えしました。



余談ですが、この日、2月14日は、くしくも私の誕生日でした(笑)


失礼しました。