水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

妻とのキャッチボール

コミュニケーションを、キャッチボールで説明している心理学が有ります。


キャッチボールは、相手が取りやすい、相手の力に応じたスピードで、相手の受け取るタイミングを計りながら、ボールを投げます。これが狂うと、キャッチボールには成りません。


相手から来たボールを、強過ぎるボールで返せば、それはキャッチボールではなく、ドッヂボールとなってしまいます。


相手から来たボールを、返さなかった場合はどうでしょう。やーめたと返さない、それは既にキャッチボールというコミュニケーションを拒否したことに成ります。


逆に返したのですが、それがワンバウンドで返したり、大きくオーバーさせたりと、暗にお前とはやりたくないんだとも思える意思表示も起きえます。


たかがキャッチボール、されどキャッチボールです。


★以前に描いた、真鶴港です。



私は、妻ともう45年一緒ですが、ほんの最近でしょう、やっとキャッチボールのような会話が出来たかと思い始めました。たかが、キャッチボールをするのに45年も掛かったのです。


最も、50年掛けて、全くキャッチボールが出来なくなったと溢している知人も居ます、それは、それぞれの春であり、秋なのかも知れません。



こんなことが有りました。


それは、私が、蕪の浅漬けを作っていた時です。切った野菜をボールに入れていく段階で妻が一言、


もっと大きなボールに変えたら?と


当たり前の意見を貰ったのです、私ももっと大きなボールに変えようと思っていた矢先でした。こういう場合に、今やろうと思ったのに!!と、感情が舞いあがることが多いのですが、その時、私はこう答えました。


そうだよな、小さいよな、ありがとう、変えるわと・・・・、


この私の返答が妻の態度を変えたのだと感じました。



ジャブを繰り出し、相手の心の状態を感じる、その返答によっては、黙ってしまう、心を閉ざしてしまう、心をオープンにすると何が入って来るか分からない、等々、人間とは複雑な動物です。


このジャブの後、ストレートパンチが来たのでは有りません。妻はその後、速射砲のように、自分の職場の不満について語り始めました、私は手を止めて、その話に聞き入りました。


このようなこと、解決は有りません。でも話すことで、心のモヤモヤは半減するのでしょう。



馬鹿ですよね、45年も一緒にいて、こんな初歩的なコミュニケーションの中に居ます



日々の愚痴をダンナに話すことの不安、それが妻の心を覆っていたのです。でも、ジャブの反応が、今までと違っていた、そうだ「話して」見よう、そう思ったのかと思いました。


コミュニケーションはキャッチボールに似ている、簡単なこのキャッチボールが意外に難しいことが分かること、自分は45年掛けて何をして来たんだろうと思わせられた、大事な場面でした。


私の残された時間、あとどれくらいだろうと思いつつ、もっともっと妻とキャッチボールをしたいと願ったのでした。