水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

癒されたのは私達

日曜日の佐賀は、良い天気と成りました。羽田から約2時間の旅でした。直ぐに彼の
入院している、佐賀好生館に向かいました。


佐賀市の好生館、立派な病院でした。



こちらから見舞いに参加したメンバーは、妻と私、そして大学の同級生二人です。


36年位前に、あるイベントの計画中、彼はその中心に居ました。彼の能力は卓越
していて、さて脚本が必要となればその道の仲間を連れて来る、音楽が必要となれ
ば、作編曲の経験者を連れてくる、その仲間たちは殆どが大学での彼の仲間で、彼
の呼掛けに勇んで参加をしてきたのです。


その心を誘ったのが、彼の人間性でしょう、あいつが言うなら協力してやるかと、
動いた仲間達、私は見ていてその人間同士の力に圧倒されながらも、本当に良いな
あと、彼の後姿に手も合わせたのでした。



そんな彼の姿を思い浮かべながらのお見舞いでした。


彼は小さくなり、細くなり、髪の毛は抗がん剤により抜け落ちて居ました。



でも、奥様が私達にこう言ったのです。


皆さんが来るからと、何かを奮い起こすような感じなのですよと、そして全く
食べ物を受付け無かったのですが、少しずつ食べるようになったのですよ、と。


しかしお医者は、もう知り合いの方々に来てもらって下さいと、いつ急変するか
分かりませんと、釘を刺されているのでした。



私はこの世に、こういう笑顔があるのかと、意識が薄らいだり戻ったりしている
彼が、ほんの一瞬見せるそれは、菩薩のようだったのです。


妻も仲間達もそれを感じていたのでしょう、癒されたのは彼ではなく見舞った私
達なのかも知れません。



36年前のイベント立ち上げ中、何人もの仲間達が狭い拙宅に泊まりました。そ
の時の妻には感謝しか有りません。食べる呑むの若者達を受け入れたのでした。


その期間は半年にも及び、それぞれの歯ブラシもいつの間にか揃えて居ました(笑)



人は生きて来たように死ぬ


そんな言葉が頭をよぎりました、そのように聞いてはいるのですが、それがどん
なことなのかと具体的には分からなかったのですが、今目の前で、私達を癒すそ
の存在を見ている内に、ああそうかと腑に落ちたのでした。


ベッドの中から時折見せる深い笑顔に、私は吸い込まれそうでした。


彼は私より8歳若いです、彼の病を知った時、何故か私も余命を告げられた時
でした。


でも私の病はグズグズとしていて、まさにそれが私の生き様のようです。その
私が彼を見舞っている、勿論私の病のことは知りません。



ふと私達は、後ろを振り向きました。


そこには、彼のお母様がたたずんで居ました、本当に遠くからありがとうと、
そしてしっかりとした眼差し、お母様は92歳でした。


すると彼の奥様が小さな声で、主人は絶対に母親より先に死ぬことは出来ないと
言い続けるのですと。



頑張れ!!寛ちゃん、そしてありがとう!!って、誰もが心の中でそう叫んだでしょう。