水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

等々力アリーナ 大きな不安と小さな不便 2

☆もう少しです。



私は市役所の担当の許可を得て、その体育館に入りました。そして一組一組のご家族に接しながら、どうか洗濯物が有りましたらお手伝いをさせて下さいと、お伝えして歩きました。


大きな不安を抱えてらっしゃる避難者の皆様、これからの生活、故郷への想い、帰れるのだろうかという、この全てが合わさったご不安、しかし自分達は生きて居る、もったいないことだと、大震災で死んで逝った同胞者への何とも言えない気持ち、それらが混在したものがその体育館には満ちて居たのです。


それでも、私の提案を笑顔で聞いていただきました。その時点で等々力アリーナには洗濯機が有りませんでした、揃える揃えると言いながら間に合っては居なかったのです。


翌日私は軽貨物に乗り、体育館に赴きました、少しでも出してくれるだろうかと不安を感じながら・・・、入って行くと担当の方が私を手招きします、黙ってついて行くと壁際にうず高く積まれているビニール袋が見えました。その数、18袋程でした。


工場へ戻り、それらを女性パートさんに渡しました。担当の方、そして被災者の方々にも、洗濯は最後まで「女性パート」が扱うと伝えて居ました。


これを夕方までにお届けする、実はこれには非常に参りました、洗うのは何でもないのですが、なかなか乾かないのです、一晩有ればなあと思いながらも、それは望めないことです、直ぐにお届けせねば成りません。そこで私は女性パートにコインランドリーに行って貰いました。


夕方、お届けと成りました、そうしたらもっと沢山のビニール袋が置いて有りました、うわ~これは!!と、これ本音でした、何故なら本業の方が進まなくなると馬鹿な私でした、そんなこと引き受ける前に分かっているだろうと!!、でも、そういうことを余り考えない私でした。


それから5日後、役所の担当から電話が入りました。「ありがとうございます、本当に助かりました」という言葉と共に、洗濯機が入りましたという知らせでした。洗濯と言う現実を見続けたその担当が、何よりも早く洗濯機をと、手まわしをしたのでした。


小さな不便、洗濯が出来ないのは小さな不便と思って居ましたが、それは違ったなと思いました。何よりも先行してやって行きたいこと、それが洗濯でした。担当もそれに気づいたのでした、クリーニング屋の行動が、そんな気付きを招いた、それだけでも良かったと思いました。


もっともっと細かいことは沢山ありましたが、以上が大震災への私達の関わりです、その後一年くらいでしょうかアリーナの被災者は、それぞれの生き場所へ向かわれたのだと思います、しかし福島と言う故郷には帰れなかったでしょう。


改めて、大震災から6年、亡くなった方々のご冥福をお祈り致します。




×

非ログインユーザーとして返信する

あと 2000文字

※は必須項目です。