ただ逢いたい母へ
こんな歌が、密かに広がっています。
この歌を聞いている内に私は、あの「コウノトリのゆりかご」のことを思い起こしました。
2007年に熊本の慈恵病院に開設された赤ちゃんポスト(コウノとりのゆりかご)に置かれていた赤ちゃん、大きくなられたでしょう、今は12歳ですね。
欧州で始まったこの赤ちゃんポスト、その歴史は古いのです。
しかし、この日本では2007年ですから、過去の事例もなく、大きく育った赤ちゃんの心が何を求めるのか、それは分かっていることなのですが、どうすることも出来ないのです。
匿名が原則、赤ちゃんポストに自分の子供を置いていく母親は、そこにご自分を現すメモでも置いて居ない限り、どこの誰なのかは分からないのです。
後年、もし、母親の方から、あの子に逢いたい!!と節に願っても、どうしようもない、どの子があの子なのかは分かりません。
もちろん、赤ちゃんの方から、大きくなったその子の方から求めても、誰も探すことすら出来ないのです。
ただ逢いたい母へ
私は母親(あなた)のことを恨んだりして居ません
ただ逢いたい 逢いたいだけなんです。
三歳の記憶はデパートの屋上でした
青空がとても眩しいことだけ覚えています
麦わら帽子に涙を隠して母を待ち続けました
あの夏が今年もやって来ました
この歌詞は、実話と思います。
この子は三歳の時にデパートの屋上に母親に連れられて母親はそのまま、この子を置いてどこかに行ってしまったのです。
この子の悲しみは、後に寂寞の想いとなり、しかし年月がそれらを溶かして行ったのでしょう、そして心の奥底にくすぶり続けた心が、いつの日か表に現れて来たのかと思います、それが・・・、
ただあなたに逢いたい!!、だったのです。
赤ちゃんポストが母親なんてことはありません、きっと、その後の看護師さん始め、入居した養護施設の養母さんとか、愛の深い人達に育てられたなら、そこに「お母さん」がいらした、本当のお母さんではなく、真実のお母さんがいらしたと感じます。
そして大きくなられた、12歳の赤ちゃんを筆頭に、何十人というポストの子供達は居るのです。
この子達一人一人の人生の物語を紡ぐのは誰でも有りません、この子達一人一人が、自分の人生を直視して、紡いでいく物語を、自分の物語を、いつの日か語って欲しいと思いました。
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