ある友の日常
昨夜は60年来の友人たちと会いました。
当たり前ですが、同級生なので年齢は同じです(笑)
殆どの諸氏がリタイアして居ました、孫たちも多く、
しっかりと子孫繁栄をして居ました。
一番違ったのは、私と彼らの日常です。
私はこの土曜日も会社に行き、この極暑の下で仕事
をします。これは、このことをマイナスに受け止め
れば、若い頃に怠けた結果と言えます。
でもプラスに考えれば、この歳になっても、わが身
が必要とされていて、心理学的に言えば、自分の居
場所がある、こうも言えます。
小学校の時、隣にいた彼は今、リタイアして奥様と
二人暮らしです。彼の現役時代はカメラマンでした。
一時期はデパートの広告写真なども撮って居ました。
その彼今は、城山三郎の毎日が日曜日です。
私 毎日何をしているの?
彼 午前中はぼーっとしていて、4時頃散歩い行く
そのついでに買い物かな
私 そうなんだ、うらやましいよ
私 でも、食事は?、三食食べているんだろう?
彼 食べてるよ
私 奥様が作ってくれているの?(馬鹿な質問の繰り返し)
彼 うん、作っているな
私 そうなんだ(そう言いつつ、なんだこの世界はと!!)
これは~と思いながら、一方で自分のクソ暑い日々の
太陽を睨みつけるような日常に想いを馳せながら、我
が運命を呪ったのです(笑)・・・
彼の日常は、彼が獲得したもの、私の日常は私が獲得
したもの、それぞれがいわば望みどおりの日々なんだ
ろうと思ったのでした。
多くの人達がもしかしから望んでいる生活、それは
「怠惰な日々」なのではないか、でもその怠惰がもた
らすものは、それは分かりませんんが、私自身は、そ
の怠惰がもたらすものには耐えられないだろうと。
まあ、本音を言うと、私は貧乏で、彼はそうではない、
ただそれだけのことでした、このことに屁理屈を並べ
た私ですが、この屁理屈こそ心貧乏な証拠ですね。
もう一つ、ちょっと思い続けたこと、それは奥様のこ
とです。彼を愛していらっしゃるんだと、当たり前で
ない当たり前さを感じました。
でも、大変だろうなと・・・・、
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