水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

今から思えば ちょっと特殊な幼稚園だった

トモエ幼稚園、私が通った自由が丘に有った幼稚園です。


後年、窓際のトットちゃん(黒柳徹子著)で有名になったのは
前身のトモエ学園でした。その彼女の物語が今度アニメ化
されるとのこと


結構楽しみです。



おぼろげな記憶しかないが、その記憶の中でも変な幼稚園でした、
変なというより面白いが正解かも、校庭を囲むように
客車(確か三台)が並んで置いてあるのでした。


イメージしづらいかも知れませんが、汽車(わかりますかねえ)に引かれて
いる、あの客車ですよ。


☆ヤフーに出ていたこの写真、これは本物でしょう、おかっぱ頭と坊主頭達が客車を出入りして居ます。この客車の中でお弁当を食べたり、授業のようなことをしていたのです。



こんな写真も載っていました、物凄く懐かしいです!!


母と行った幼稚園の面接、確かに目の前にこの方が座っていらっしゃいました、
私はその面接で、クレヨンでこの客車を描いた記憶が今でも鮮明です。


それはその出鱈目な幼児の絵を、君は絵が上手いね!!と誉めた小林園長
の言の葉が、今でも私の全身を旅しているからだと思います。



何故今更、こんなことを思い出しているのか、それは・・・・・、


兄弟(兄が二人、姉が一人)のその後入学した小学校にも、このトモエ幼稚園を
卒業した人が一人も居ないことでした。


あれから65年以上過ぎて、トットちゃんの有名な話も聞き、読み、そこがかなり
特殊な場所だったと思い始めたからです。


普通では無かった、私自身がまともでは(何がまともかは分かりません)無かった
、その後の小学校でも、自分の教室にいたことはあまり無かった私


今から思えば私は「変わった子(発達障害)」だったのだのだと
そんな私を何処も受け入れてはくれず(近所に3つの幼稚園がありました)
母は、このトモエに頼ったのだと思います。



お母さん!!お母さん!!、二着だったよ二着!!と
幼稚園の運動会のことをいさんで報告をしている私、


何人で走ったんだい?と母(この質問も鮮明です)


・・・・・二人(ー_ー)!!・・・・・、だよ


母は忙しかった、今もこのことを覚えている、何でいさんで母に伝えようと
したのかって


こんなアホなことをいさんでって


ただただ偉いねえって言って貰えるからかも、



この幼稚園の面接が、私の人生の最初の記憶です、絵を誉められている私の
目の端に映っていた母の笑顔は、今も鮮明です。