水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

良かったじゃないですか?

田園調布の駅近く、美容院が有ります。そこは、昭和9年に父がクリーニング店を創業した場所です。


先日、その美容院の前を通りました、同乗していた事務の責任者に、この場所の説明をしながら通り過ぎたのです。


彼女は、前の会社(平成10年に廃業)から事務をしていた人です。ですので、前の会社が廃業するまでの物語を、表面的では有りますが、知っていました。


そして、新会社にも馳せ参じた彼女、何故前の会社が廃業し、どんな理由で新会社が出来たのかも、感じていると思います。


★田園調布駅前から放射線状に伸びている銀杏並木です。



その美容院は、昭和23年頃に始まりました。その前までは、クリーニング店で、店を自由が丘に新しく開店する為に、その後美容院になったのでした。


その美容院を開店したのが、お袋の義姉姉妹でした、その姉妹は戦争で浅草からこの田園調布の地に逃げて来たのでした。


その二人を親父は、受け入れました。姉妹は、浅草で美容院をやっていたのです、でも空襲で焼け出されてしまったのです。その妹方には、二人の息子が居ました、クリーニング店は大所帯となったのでした。



その美容院の権利は、親父でしたが、親父はこの姉妹に大事な権利を格安で譲ったのでした、それをお袋が反対して居たのは、よく覚えて居ます。


その美容院は今、新しくビルになり、継いだ息子さんがビルオーナーとなって居ました。


そのビルを見ながら私は、何だかなあと思ったのです、それは非常にさもしい気持ちです。


その息子さんが、立派な大人だったら、何とも思わないのでしょうが、やんちゃな背年時代、そして親に暴力を振い続けた歴史、そんな彼が、意気揚々とビルのオーナーかと、これは嫉妬心でしょうね。



そんな話の一部を彼女に伝えながら、ここは発祥の地なんだ、そしてこのビルも、本当は前の会社の権利なんだと、未練がましく私は伝えたのかと思います。


そうしたら彼女が言いました。


良かったじゃないですか、これが前の会社の権利だったら、もう無いでしょうに。会社の権利では無かったから、どんな人かは私は知りませんが、少なくとも社長の義従兄弟さんが住まわれているんですよね。


一つの家族が、ここで幸せな生活を送っていると思えば、それはそれで良かったのでは?と。


そうです、ここが前の会社の権利だったら、全部取られていたでしょう。かなり有った土地や支店、工場、本社、等々、全部取られても、借金は残っていたのですから。


私は、目を覚まされたのです、寂しい考え方から抜け出せた想いがしました。


人一人が、一つの家族が、幸せになっているなら、それで良いではないかと、もう既に前しか見ていない彼女の横顔は、既に経営者だなと思ったのでした。


失礼しました。