水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

嘘は常備薬、真実は劇薬 最終

長く成りすぎますので、結論をと思います。


私はこの掃除で、人間の奥底に流れる共通心理と感じる大切なことを学びました。誰もが(例外はあると思います)心の琴線を揺らすような出来事、それは多分「真実は劇薬」という、滅多にお目にかかれない体験なのかも知れません。


その初めが、たった一人での掃除でした。それはいくら掃いても薄汚れたままで、その下にあるであろう真黒なPタイルは何処にという、安部公房の「砂の女」のような作業だったのです。


私は朝四時にホールに向かう日々と成りました。何だ○○君、どうしたんだと言われながら私もホウキを握り掃除を始めて居ました。


何が起きるのか、何が大事なのかなどと、何も思わないスタートでした。ただ上司は、何を「反省」しているのだろうと、その答えを見つけたい、そう思って居ました。


それから又半年が過ぎました、ホールは相変わらずです、1年過ぎて何も変わらないと思って居ました、しかし少しずつの変化が内側から始まったのです。それは厨房課員の心です、冗談じゃないと言いながら、朝4時の変な行事に、だんだんと参加し始めたのです。

それは有る日の朝でした、いつもホール入口で生徒達を見守っている先輩が私を呼ぶのです、見て見ろと!!、私はそこに信じられない光景を見ました。


朝礼が終わり、わっしょいわっしょいと走りながら入って来る生徒達、でも入口で立ち止まり、靴の裏をこすって泥を落としているのです、全員では有りませんが、そのような行為をする生徒達が現れ始めたのです。


また有る日、大学生のグループから申し出がありました、僕達にも掃除を手伝わせて欲しいという提案でした。それらの提案や希望は、上司がホウキを持ち始めてから約一年半、この次々と起こる変化を、私は驚きの心で見つめて居ました。


その上司はこのようなことを予想したり、希望したりして、掃除を始めた訳ではないでしょう。


ただひたすら、もっと綺麗なホールで食事をして欲しいと願いを持ちながら、始めたのだと思います。いつの間にか私もそう思って居ました。


真実の行為は、無から有を生むと、聞いたことが有ります。人が何を差し置いても、そうしたくなる世界がある、それは誰にも共通の心、私もこの上司の後ろ姿に突き動かされたのだと思い返して居ます。そして高校生や大学生も同じように感じて来たのかと思います。


いつの間にかこの広いホールは、朝の4時に起きて掃除をしなくても、本当に綺麗なホールと変わって居ました。上司が掃除を始めてから2年が過ぎて居ました。しかし考えて見ればたった2年で多くの人の心が動いたのです、不思議なことだと今も私は思って居ます。


真実は劇薬、私達はその「真実」に向き合うことなく、人生を過ごしがちと思います。私を含めた厨房課員達も、常備薬の世界に浸かりきり、ゆでガエルのようになっていたのをこの「劇薬」で、ぬるま湯から飛びだせたのかも知れません。


さて、いったい上司は何を反省したのか、それは多分、こうだったのかと想像します。それが人生の「課題」、フランクル博士の言う、誰にでも雨のように降り注ぐ人生の「課題」、上司はそれを全部正面から受取ったのだと思いました。


たまたま赴任した食堂ホールが汚れていた、それを課題としただけと思います。しかし悩まれたでしょうねえ、上司も人間ですから。真実に向き合うにはどうしたら良いかなどと上司は何も考えて居なかったに違いありません、ただそこに己の課題を見つけて、ただ向き合っただけだったのでしょう。


50年前のこの出来事、今でも私の指針です。劇薬は余り好みませんが、時には必要かと思う、貴重な体験でした。


かなりはしょりました、高校生の言葉、職員達の提案や、色々有りました、みんな何よりも「真実」が嬉しかったんだと、強く思った体験でした。


ここまでお読み下さり、感謝申し上げます。