水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

人生 棺を覆うて定まる

人生の評価は、その人が死んで棺桶に入り、蓋が覆ったときに定まる。


これはどなたの言葉か分かりませんが、以下、引用します。
 


若いうちに幸運を得て世に知られ、青年期壮年期に
他人も羨む活躍をしても、晩年期に不運な境涯に落ち
込む人が多い。


頭が良くて、弁舌さわやかに、衆を圧倒するほどの
活躍をした人ほど、晩年の落ち込みは哀れである。


 


一方、若いうちはほとんど目立たず、あるいは目立って
も悪者と見られていたような人の中から、晩年期に入って
いぶし銀の光を放ってくる人もいる。
 


そして人生最期の最期、死んで棺桶に入りその蓋が覆った
とき、その人の人生の評価が自他共に確定するのである。


 


自他共にというのは、他人の評価もさることながら、
自分が自分に対する評価もそこで決まるということである。


もっとも棺桶に入ったときにはもう自分の意識はないのだ
けれど、その時点が自分の人生がなんぼのものだったかの
評価を自分で観念するポイントだということである。
 


ほんとうは、他人がどう評価しようがそんなことはどうでも構わない。
 


肝心なことは、自分が自分に対して自分の一生をどう評価するかである。
これが最期の死の床の上で、自分の人生を省みて「我が人生に悔いなし」
と言えればそれが最高である。


 


「そんなことなら俺でもできらあ」という声が、
あちこちから聞こえてくるがとんでもない。


失礼ながら、苦労知らずの皆さんが考えているような、
そんな簡単なものでは決してないのである。
 
もっともっと深いところで考えて欲しい。
 


最高の死に方をするためには、生きているうちに最高
の生き方を心掛けて生きてこなければならない。


生きているうちに、あちらには白と言い、こちらには黒
と言うような、デタラメな生き方をしておいて、最高の
死に方などできるはずがない。


子供でもわかる簡単な道理である。
 


生きるための方便として、自分を殺して上役に媚びへつらい、
自分は白と思うのに大勢に順応して黒に従う。


こんなことをしては悪いと承知して権力に迎合して悪事に加担する。


人は誰でも、他人は騙せても自分は騙せない。
 


「人の死なんとするとき、その言うや良し」(禅語)。


いま、まさに死なんとするとき、人は誰でも嘘は言わない、
言えないのである。嘘だと思う人はどなたも、死に神さんと
対面してみたらはっきりわかる。
 


人は誰でも自分の体の中に、この世に生まれたときに持って
きた「本来の自分」がいる。


その本来の自分即ち本物の自分に忠実に生きてきた人のみが、
死の床で「我が人生に悔いなし」と言えるのである。




以上、引用を終えます。



私としては、最後の4行が気になりました。


本来の自分です、それもこう言って居ます。
この世に生まれた時に持ってきた「本来の自分」と・・・、


持ってきたのに忘れているのでしょうか、私達は、


日々という現実の嵐の中で、忘れ去っていくもの、


そういえば、小さい頃は神様が居て~、でしたね。